21世紀に入って全世界の人々がテレビの生中継画面を見ながら同時に驚き、戦慄した2つの瞬間がある。2001年9月11日と2011年3月11日だ。米国ニューヨークで起きた9・11テロは人災であり、日本の東北地方を襲った3・11大震災と原発事故は自然災害と人災が重なった複合型大惨事であった。
在日同胞、姜尚中(カン・サンジュン、63)聖学院大学教授は昨年書いた『生きなければならない理由』(四季出版社)で世界の破滅を目撃した後「このような悲惨を体験しても、それでも生きていかなくてはいけないのだろうか」と問いかけた。人類全てに向けられた一種の峻厳な警告の前に彼が提示したキーワードは「生まれ変わり」であった。
3・11の2周年をむかえる日本は今日も「その日」が与えた衝撃の中で生きていく。福島第1原子力発電所付近で捕えられたイノシシから基準値の560倍に相当する放射性セシウム検出、津波警報体系を予測正確度よりは危機感を刺激して避難を誘導するように強化するという日本の気象庁発表が6日のメディアタイトルだ。
海を越えた隣国である韓国は他人の家の火事見物のように安心してもかまわないだろうか。原子力発電所依存度が高い韓国が日本の事例を他山の石とみなければならない理由だ。
韓国内出版界が今週、3・11関連書を多く出版した根底にはこのような考えがある。高麗(コリョ)大学出版部が13巻のシリーズでまとめた『東日本大震災と核災難」は日本の早稲田大学出版部が約30種のブックレットとして出している『震災後に考える』の翻訳本だ。
各分野の専門家が自身の体験に基づいて分析した現実と未来のための直言は大災難の現象と原因および結果を合わせていて、3・11に関する総合的である理解を可能にしてくれる。個人の人生でそのように国家と社会の歴史でも突然の事故や災害を通じて何が重要なことかを悟るようになる瞬間、その歴史的転換点を把握することができる。
『原発禍を生きる』(佐々木孝著作、ヒョン・ジンイ翻訳、徐京植解説、トルペゲ編集)は福島原子力発電所地域近くに住んでいた佐々木孝教授が避難しないで家族とともに現場を守って書いた血の涙の記録だ。「奈落の底から見れば真実が見える」と述べるこの原子力発電所反対主義者は「原子力というパンドラの箱を開いて以来、人類はいつも破滅の危険に露出した」として「至急封印する方向で英知を結集させなければならないのではないのか」と問う。
韓国と日本の学者3人が原子力発電所の現場を回って額を突き合わせた座談集もある。『福島以後の人生』(韓洪九、徐京植、高橋哲哉著作、イ・リョンギョン責任翻訳、バンビ編集)だ。「原子力発電所問題は民主主義の問題」という前提から出発する。「原子力の平和的利用」という旗印が自己欺まんに過ぎないということを暴露するこれら知識人の自分省察は両国が右傾化と退行の時代に入り込んでいることを吐露する方向に進む。
核の恐るべき危険をマンガにした『セシウム137』(パスカル・クラッシュ文・画、イ・セジン翻訳、現実文化編集)、『チェルノブイリの春』「エマニエル・ルパジュ文・画、ヘバラギプロジェクト翻訳、図書出版キルチャッキ編集)もグラフィックノーベル(漫画小説)の力で核恐怖のサイレンを鳴らす。
在日同胞、姜尚中(カン・サンジュン、63)聖学院大学教授は昨年書いた『生きなければならない理由』(四季出版社)で世界の破滅を目撃した後「このような悲惨を体験しても、それでも生きていかなくてはいけないのだろうか」と問いかけた。人類全てに向けられた一種の峻厳な警告の前に彼が提示したキーワードは「生まれ変わり」であった。
3・11の2周年をむかえる日本は今日も「その日」が与えた衝撃の中で生きていく。福島第1原子力発電所付近で捕えられたイノシシから基準値の560倍に相当する放射性セシウム検出、津波警報体系を予測正確度よりは危機感を刺激して避難を誘導するように強化するという日本の気象庁発表が6日のメディアタイトルだ。
海を越えた隣国である韓国は他人の家の火事見物のように安心してもかまわないだろうか。原子力発電所依存度が高い韓国が日本の事例を他山の石とみなければならない理由だ。
韓国内出版界が今週、3・11関連書を多く出版した根底にはこのような考えがある。高麗(コリョ)大学出版部が13巻のシリーズでまとめた『東日本大震災と核災難」は日本の早稲田大学出版部が約30種のブックレットとして出している『震災後に考える』の翻訳本だ。
各分野の専門家が自身の体験に基づいて分析した現実と未来のための直言は大災難の現象と原因および結果を合わせていて、3・11に関する総合的である理解を可能にしてくれる。個人の人生でそのように国家と社会の歴史でも突然の事故や災害を通じて何が重要なことかを悟るようになる瞬間、その歴史的転換点を把握することができる。
『原発禍を生きる』(佐々木孝著作、ヒョン・ジンイ翻訳、徐京植解説、トルペゲ編集)は福島原子力発電所地域近くに住んでいた佐々木孝教授が避難しないで家族とともに現場を守って書いた血の涙の記録だ。「奈落の底から見れば真実が見える」と述べるこの原子力発電所反対主義者は「原子力というパンドラの箱を開いて以来、人類はいつも破滅の危険に露出した」として「至急封印する方向で英知を結集させなければならないのではないのか」と問う。
韓国と日本の学者3人が原子力発電所の現場を回って額を突き合わせた座談集もある。『福島以後の人生』(韓洪九、徐京植、高橋哲哉著作、イ・リョンギョン責任翻訳、バンビ編集)だ。「原子力発電所問題は民主主義の問題」という前提から出発する。「原子力の平和的利用」という旗印が自己欺まんに過ぎないということを暴露するこれら知識人の自分省察は両国が右傾化と退行の時代に入り込んでいることを吐露する方向に進む。
核の恐るべき危険をマンガにした『セシウム137』(パスカル・クラッシュ文・画、イ・セジン翻訳、現実文化編集)、『チェルノブイリの春』「エマニエル・ルパジュ文・画、ヘバラギプロジェクト翻訳、図書出版キルチャッキ編集)もグラフィックノーベル(漫画小説)の力で核恐怖のサイレンを鳴らす。
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