問題は基準が明確でないことにある。 「公衆が密集する場所で人に醜行した者」(性暴力処罰特例法第11条)という抽象的な法規定と「成績羞恥心」のような基準だけでは、醜行かどうか常に境界線を行き来することになる。 知能的醜行犯は網をくぐり抜け、純粋な男性が引っかかりやすい。 法よりも拳に近いというが、粗雑な法は拳になって飛んでくる。
女性の性を保護するのは当然だ。 犯罪は厳しく処罰しなければならない。 しかし各論なく総論だけが翻る社会では、恐怖心で金儲けをする事業者が幅を利かせる。 範囲を広めれば、企業から金をむしり取る似非メディア、公職者を何度か接待して生涯奴隷にしようとするブローカーも“恐怖事業者”だ。 欲望のジャングルで生き残ろうとすれば、個々人が身の振り方を正すべきだが、自分には関係がないと罵倒・非難して済ませてはならない。 似ているという理由で詳細な内部事情も分かろうとしないまま。
【時視各角】醜行と美人局の間(1)
女性の性を保護するのは当然だ。 犯罪は厳しく処罰しなければならない。 しかし各論なく総論だけが翻る社会では、恐怖心で金儲けをする事業者が幅を利かせる。 範囲を広めれば、企業から金をむしり取る似非メディア、公職者を何度か接待して生涯奴隷にしようとするブローカーも“恐怖事業者”だ。 欲望のジャングルで生き残ろうとすれば、個々人が身の振り方を正すべきだが、自分には関係がないと罵倒・非難して済ませてはならない。 似ているという理由で詳細な内部事情も分かろうとしないまま。
【時視各角】醜行と美人局の間(1)
この記事を読んで…