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「軍人の相手をした年齢が…」 慰安婦肉声証言が入った口述集発行へ=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

政府は来年1月、「元慰安婦口述資料集」を出す。光復(解放)68年目に政府が出す初めての慰安婦関連資料だ。写真は昨年12月、日本大使館の向かい側に設置された「慰安婦少女像」に雨水がついた姿。

韓国政府が日本軍慰安婦の肉声証言が入った口述集を発行する。国務総理直属の対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会(委員長パク・インファン、以下・委員会)は来年1月、元慰安婦の口述資料集を出す予定だと23日、明らかにした。政府レベルで元慰安婦に対する公式記録を出すのは今回が初めて。委員会は05年1月から最近まで全国各地を回りながら、日本軍慰安婦被害者12人の口述資料を採集した。元慰安婦は口述集で、数十年前に体験した恥辱の記憶を苦痛をの中で呼び起こした。

ハン・スンボクさん(89、仮名)は1940年、日本人2人に連れて行かれた。釜山港で全身を叩かれて船に乗った。目が覚めると、台湾基隆の日本軍部隊付近だった。17歳の少女はその日から5年間、日本の軍人を体で受け入れなければならなかった。ハンさんは震える声でぞっとするような記憶を語った。

「昼も夜も無条件に軍人だけを相手にした。軍人は今日死ぬか明日死ぬか分からないので人情もない。軍人が列をつくって押し寄せて….一人の軍人を相手にする度に洗うので、下半身が冷たくなり、自分の肌のようではなかった」。


キム・ボクニムさん(82、仮名)も同じ頃、中国延吉に連れて行かれた。「金を儲けられるようにする」という職業紹介所の人の話にだまされたのだ。1942年、キムさんの年齢は13歳だった。最初の1年間は雑用をした。しかし翌年、日本軍人を相手にする慰安婦になった。14歳の少女が大きな軍人の相手をするのは深刻な苦痛だった。

「まだ14歳なのに子宮は開かない。軍人は日本語で『できない』といって私を殴った。その言葉を言えば今でも心臓が高鳴って…」。キムさんは解放後、中国人の服で男装をして逃げた。キムさんは「私が苦労したことは天と地しか知らない」と語った。



「軍人の相手をした年齢が…」 慰安婦肉声証言が入った口述集発行へ(2)

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