政府は来年1月、「元慰安婦口述資料集」を出す。光復(解放)68年目に政府が出す初めての慰安婦関連資料だ。写真は昨年12月、日本大使館の向かい側に設置された「慰安婦少女像」に雨水がついた姿。
ハン・スンボクさん(89、仮名)は1940年、日本人2人に連れて行かれた。釜山港で全身を叩かれて船に乗った。目が覚めると、台湾基隆の日本軍部隊付近だった。17歳の少女はその日から5年間、日本の軍人を体で受け入れなければならなかった。ハンさんは震える声でぞっとするような記憶を語った。
「昼も夜も無条件に軍人だけを相手にした。軍人は今日死ぬか明日死ぬか分からないので人情もない。軍人が列をつくって押し寄せて….一人の軍人を相手にする度に洗うので、下半身が冷たくなり、自分の肌のようではなかった」。
キム・ボクニムさん(82、仮名)も同じ頃、中国延吉に連れて行かれた。「金を儲けられるようにする」という職業紹介所の人の話にだまされたのだ。1942年、キムさんの年齢は13歳だった。最初の1年間は雑用をした。しかし翌年、日本軍人を相手にする慰安婦になった。14歳の少女が大きな軍人の相手をするのは深刻な苦痛だった。
「まだ14歳なのに子宮は開かない。軍人は日本語で『できない』といって私を殴った。その言葉を言えば今でも心臓が高鳴って…」。キムさんは解放後、中国人の服で男装をして逃げた。キムさんは「私が苦労したことは天と地しか知らない」と語った。
「軍人の相手をした年齢が…」 慰安婦肉声証言が入った口述集発行へ(2)
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