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<韓国初女性大統領・朴槿恵が歩んできた道>(下)刃物で顔を切りつけられても(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

2006年、当時ハンナラ党代表だった朴槿恵(パク・クネ)氏が地方選挙の支援遊説の途中で顔を刃物で切りつけられ、手術を受けている様子(写真=中央フォト)。

2007年、大統領候補党内予備選挙が終わり、李明博(イ・ミョンバク)候補に祝賀のあいさつを述べる朴槿恵(パク・クネ)氏(写真=中央フォト)。

2011年、朴槿恵(パク・クネ)非常対策委員長とイ・ジュンソク非常対策委員(写真=中央フォト)。

<6>06年の新村テロ

06年5月31日の地方選挙を控え、ハンナラ党代表として東奔西走した朴槿恵(パク・クネ)は5月20日午後7時20分、ソウル新村の現代百貨店前に到着した。 朴槿恵が呉世勲(オ・セフン)ソウル市長候補の支援遊説のため演説車両に上がろうとした瞬間、突然現れた男の手が朴槿恵の顔をかすめた。 朴槿恵は右頬を両手で覆い、苦痛の表情を見せた。 テロ犯チ・チュンホがカッターの刃で朴槿恵の顔を10センチ以上も切りつけたのだ。 傷口が開いて中が見えるほど傷は深かった。

朴槿恵はセブランス病院に運ばれた。 驚いてそわそわする劉正福(ユ・ジョンボク)秘書室長を、朴槿恵は「私のせいで驚かれたでしょう」と言って安心させた。 朴槿恵は約2時間にわたる手術で60針を縫った。


手術を受けて安定を取り戻した中、劉室長が地方選挙世論調査の結果を報告すると、朴槿恵はすぐに「大田は?」と尋ねた。 当時、大田は廉弘喆(ヨム・ホンチョル)市長が地方選挙直前にハンナラ党を脱党して「開かれたウリ党」に移った状況だったため、朴槿恵が必勝を誓っていたところだ。 実際、朴槿恵は5月29日に退院すると、右の頬にテープを貼ったまま大田に駆けつけ、発声が不自由な状態で1票を呼びかけた。 こうした朴槿恵の闘魂は5・31地方選挙で、ハンナラ党が大田をはじめ、ソウル・京畿など広域団体12カ所で勝利する結果をもたらした。

<7>07年党内選挙を承服

07年8月20日午後2時、大統領選のハンナラ党党内選挙の開票が進行中だったソウル五輪体操競技場。 党内選挙で大激突した朴槿恵と李明博(イ・ミョンバク)が一緒に舞台に立った。 当時、朴槿恵の白いジャケットの右側ポケットには候補受諾演説文が、左側ポケットには党内選挙承服演説文が入っていた。 壇上に立つ直前、朴槿恵は劉正福秘書室長から「これまで4分の1ほど開票が進んだが、2000票ほどリードしている」という報告を受けた。 劉正福は「絶対優勢地域の忠南北と江原の開票がまだ始まっていないので、当選は確実とみられる」という観測も付け加えた。 このため朴槿恵は勝てるという希望を抱いた。

しかしその後の開票では2人の得票差は432票に縮まり、すでに世論調査で朴槿恵が約2800票のリードを奪われていたため、逆転負けが確定した。 午後3時50分ごろ、劉正福が壇上に上がり、朴槿恵に「申し訳ございません。 選挙人団では勝ったが、世論調査で敗れ、結局は負けるという結果が出たと聞きました」と話した。

その瞬間、朴槿恵の表情は険しくなったが、すぐに淡々と「だめだということでしょう。分かりました」と語った。 承服演説では左側ポケットの原稿を取り出し、はっきりとした語調で、「党内選挙の結果に潔く承服します。 党内選挙の過程のすべてのことを忘れてしまいましょう。 李明博候補が必ず政権交代に成功することを望みます」と述べた。 当時、朴槿恵が非常に強烈な印象を残したことで、今でも当時の李明博の候補受諾演説より、朴槿恵の演説を記憶している人が多い。

<8>2010年、世宗市修正に反対

朴槿恵は2010年6月29日、国会本会議に上程された世宗市修正案の反対討論者として登場した。 05年4月当時に党代表の資格で本会議交渉団体代表演説をしてから5年2カ月ぶりに本会議の発言台に立ったのだ。 彼女の“戦闘服”と呼ばれるグレーのズボンを履いていた。 朴槿恵は短いが強い語調でハンナラ党の李明博系議員が提出した世宗市修正案に反対する立場を明らかにした。 朴槿恵は「世宗市の問題は未来の問題だ。 未来へ進むには約束は必ず守るという信頼がなければならない」と約束と信頼の政治を強調した。

朴槿恵にとって世宗市問題は少しも妥協できない、自分の政治生命と直結するものだった。 朴槿恵は野党代表時代だった05年、李在五(イ・ジェオ)、金文洙(キム・ムンス)ら首都圏議員の激しい抵抗にもかかわらず、世宗市法を与野党合意で通過させることに決定した。 しかし党内の反発が続くと、朴槿恵は同年2月23日の議員総会で、この問題を表決に付し、賛成46,反対37で賛成党論を定めた。 しかし議員総会直後に開いた本会議にはハンナラ党議員はわずか23人しか出席せず、このうち8人だけが世宗市法に賛成票を投じた。 朴槿恵がこうした政治的危機状況を甘受してまでも世宗市法を支持した理由は、国土均衡発展に対する哲学のためだった。 結局、2010年、ハンナラ党の朴槿恵系と野党がほとんど反対票を投じて、世宗市修正案は105対164で否決された。 朴槿恵が世宗市をめぐる論争の過程で見せた一貫した姿勢のおかげで、忠清圏の民心をつかむことができ、これが今回の大統領選挙の勝利に結びついたという評価が出ている。



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