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サムスン・ソニーの運命を分けたのは13ページのこの報告書だった(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

京都工芸繊維大学の福田民郎教授(64)。

京都工芸繊維大学の福田民郎教授(64)は中央日報のインタビューで、「李健煕(イ・ゴンヒ)会長は就任後、サムスンを世界超一流企業に育成するという意志を何度か表明した。その目標を実現するためにはデザインの強化が欠かせなかった」と述べた。また「デザインの革新は総合的な改革が伴うので、会社の上流から下流に流れる水の流れを強めてこそ変化が生じる」と話した。福田氏が「福田報告書」を李会長に提出した理由だ。

福田氏は日本企業がサムスンを眺める目についても言及した。福田氏は「数年前まで日本電子業界は相変わらずサムスンを認めなかったか、サムスンについてよく知らなかったかの2つに一つだった。しかし今は飛躍の背景を分析し、ベンチマーキングの対象とする例が増えている」と伝えた。

--李会長と初めて会ったのはいつか。


「1993年6月に東京で開かれる社長団会議に出席しろとサムスン日本法人から連絡があった。そこで最初に会った」

--社長団会議が終わった後、日本人デザイン顧問だけを別に呼んだというが。

「当時、日本はもちろん、世界の企業がデザインに目を向けていた時期だった。李会長は先進デザインの話に非常に大きな関心を見せていた」

--どういう対話をしたのか。

「デザインから経営全般にわたり、幅広く深い対話だった。李会長は鋭い質問をしていた。日本のデザイナーは必死に答えた。話をしながら夜が明けた」

--李会長の反応は。

「会議が終わる頃、李会長が『あすドイツ行きの飛行機の中で報告書を詳しく読む』と話したのを覚えている。当時、李会長にとってデザインは馴染みのない分野だったはずだが、傾聴する姿が印象的だった。静かに話していたが、質問は鋭い内容だった。考えの幅広さと深さから大きな人物という印象を受けた」



サムスン・ソニーの運命を分けたのは13ページのこの報告書だった(2)

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