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【時視各角】“精神的苦痛が蔓延した国”韓国、それでも人生の苦痛を抱え込まなければ(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
司祭チリロ。2週間前に他界した40歳の若いカトリック司祭です。彼はその日の午前、釜山(プサン)で日程があるといって、杖を突いて京畿道楊州市の司祭館を出ようとしていました。しかし彼の体調が非常に良くなかったので、同僚の神父たちが強制的に病院に連れて行きました。彼は数週間前から杖を突いて歩いていました。そのような状態でも、車がなかった彼はいつものようにミサに必要な祭服と本が入った重いリュックサックを背負って出退勤し、呼ばれるところに行ってミサを行いました。

彼は病院に入って12時間後に亡くなりました。すでに肺がん末期で、全身にがん細胞と炎症が広がっていました。家族も同僚も誰も気づきませんでした。彼はその時まで泰然と普段の日常生活を続けていたからです。しかし振り返ってみると、彼の言葉の中には、すでに自分の病気を知っていたことを確認させる部分がありました。

高齢の親から生まれた司祭チリロはもともと体が弱い子どもでした。高校に入学してすぐに肺結核にかかり、3年間ずっときつい薬を服用していました。それでも入院中を除いては学校を休まず、司祭の道を夢見ながら、日曜日ごとに神学生の集まりに参加していました。早くに母を亡くし、姉の十分でない世話にも不平を言わず、怠けることもありませんでした。生涯いくつかの持病に苦しみながらも、彼は一生懸命に生きました。


司祭チリロは自分のよくない体を大切にし、どんな状況でも希望の面を見いだすことを知っていました。徴兵身体検査で1級を受けた時、家族は当惑しましたが、本人は満足していました。入隊後には軍隊を愛するようになり、軍宗神父を目指しました。

彼は骨董品のような旧型携帯電話と交通カードを持ち、重いリュックサックを背負い、古い登山靴を履いて、自分が必要とされるところならどこにでも足を運びました。数年間にわたり毎週、楊州の家から一時療養した京畿道竜仁市長坪里の修道院まで100キロ以上の道のりを、電車とバスを何度も乗り換えながら行ってミサを行いました。杖を突きながらも日程を抜くことはありませんでした。口数が少なく感情表現が少なかった彼の葬儀に、全国各地から集まった人々を見て、彼がどれほど熱心に生きてきたのかを感じることができました。



【時視各角】“精神的苦痛が蔓延した国”韓国、それでも人生の苦痛を抱え込まなければ(2)

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