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金正男の韓国亡命要請説、当局は否認(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

1981年、金正日(キム・ジョンイル、前列左)が息子の正男(ジョンナム、前列右)と成恵琅(ソン・ヘラン、成恵琳夫人の姉、後列左)の家族と一緒に撮った写真。その後、成恵琅は米国へ、娘・李南玉(リ・ナムオク、後列真ん中)は欧州の国に亡命した。息子の李一男(リ・イルナム、後列右)は韓国に亡命した後、李韓永(イ・ハンヨン)に改名し、97年に盆唐(ブンダン)の自宅で北朝鮮工作員によって殺害された(写真=中央フォト)。

金正恩が2010年9月、労働党3次代表者会で後継者に推戴された後、金正男は海外メディアの前で、北朝鮮の3代世襲を批判するなど露骨に不満を表してきた。先月15日にはボスニア・ヘルツェゴビナの国際学校で留学中の息子ハンソル(17)がフィンランドのテレビのインタビューに応じ、金正恩の統治を「独裁」と表現したりもした。

韓国政府当局者は「金正恩は自分が管轄する国家安全保衛部を動員して金正男の平壌の拠点を襲撃したり、暗殺を計画して海外に工作員を派遣するなど、深刻な葛藤を起こしてきた」と話した。金正男は金正日の死去で金正恩が執権した後、今年初め、マカオから行方をくらませた。この時から金正男が北朝鮮側の脅迫に苦しんでいるという観測が出てきた。

実際、脱北者に偽装して韓国に潜入し、9月に拘束された北朝鮮保衛部工作員(50)は公安当局の捜査で、「2010年7月に保衛部から『金正男を探し出して暗殺しろ』という指令を受けた」と供述したという。金正男は10月初め、シンガポールを訪問した叔母・金敬姫(キム・ギョンヒ、66、金正日の妹)に会ったと伝えられ、自分の去就に関する談判を図ったという分析が出ている。


金正男の生母・成恵琳は1960年代末、金正日と同居し、71年に正男を出産した。しかし数年後、金正日に捨てられ、心臓病とうつ病に苦しみ、モスクワで死亡した。一時は成恵琳の亡命説報道もあった。

成恵琳の甥・李韓永(イ・ハンヨン、成恵琳の姉・成恵琅の息子)は82年に韓国に亡命したが、97年に京幾道盆唐(ブンダン)の自宅で、北朝鮮工作員に銃で撃たれて死亡した。成恵琅も96年に欧州の国に亡命し、成恵琅の娘・李南玉(リ・ナムオク)夫婦は92年に西側に脱出した。韓国には金正男の叔父(成恵琳の兄)成イルギが暮らしている。



金正男の韓国亡命要請説、当局は否認(1)

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