初めての韓国勤務は1975年。当時の須之部量三駐韓大使が地方出張から帰ってきた後、「郡守の中に中央官庁の局長になっても不足のないほど識見を持つ人たちがいた。このように人材が豊富な韓国は今後発展し良い国になるだろう」という話をした。実際その通りになったのを見て須之部大使の慧眼に感服するばかりだ。そのような韓国と40年近く縁を結んだことを幸せに思う。
韓国と日本の文化的・人的交流発展は目覚ましい。年間往来500万人を超え、日本人は韓国の映画・ドラマ・歌謡にどっぷりはまっており、韓国人は日本のアニメーション・小説などに多くの関心がある。両国の国民はほとんど国境なく親密感を分け合っている。このような絆の中で特に印象的であるのは東日本大震災の時に韓国国民が見せた友情だ。まるで自国民が被害者のように施してくれた温情だった。多くの日本人が永遠に忘れることのできない温かい心だった。
【寄稿】韓日協力、中断してはならない(2)
韓国と日本の文化的・人的交流発展は目覚ましい。年間往来500万人を超え、日本人は韓国の映画・ドラマ・歌謡にどっぷりはまっており、韓国人は日本のアニメーション・小説などに多くの関心がある。両国の国民はほとんど国境なく親密感を分け合っている。このような絆の中で特に印象的であるのは東日本大震災の時に韓国国民が見せた友情だ。まるで自国民が被害者のように施してくれた温情だった。多くの日本人が永遠に忘れることのできない温かい心だった。
【寄稿】韓日協力、中断してはならない(2)
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