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【コラム】草の根帝国主義、日本(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
日本には「悔恨共同体」という言葉がある。1967年に日本の政治学者、丸山真男がつくり出した。戦争を防げなかったという自責感、二度と繰り返さないとの義務感を感じた知識人をいう。自由主義の洗礼を受けた知識人の感情的な絆なようなものになっている。

これとはまったく違う「悔恨共同体」もある。悔恨の内容物が完全に反対だ。なぜ私たちは戦争に負けたのか、なぜ私たちは戦勝国の裁判を受けなければならなかったのか、なぜ私たちはそれほどの被害を受けたのか…。底辺には「次はしっかりやろう」という反発心理がある。これが日本の右翼の考え方だ。最近、韓国に激しく怒っている日本の政治家がみんなそうだ。

彼らには侵略の記憶がない。19世紀末、彼らの軍国主義の先祖当時からそうだった。侵略と戦争をやむを得ない状況論で進めた。陸軍大将、首相を歴任した山縣有朋がオーストリア学者ローレンツ・フォン・シュタインに学んで出した主権線-利益線論理が代表例だ。主権線は日本の領土を、利益線は主権線の安全と直結する周辺地域、すなわち朝鮮を指した。山縣は1890年12月、首相の施政演説でこのように述べた。「国の独立を維持するには主権線を守るだけでは決して十分でなく、必ず利益線を保護しなければならない」。自分がやられないためには人より先に朝鮮をのみ込まなければならないという意味だった。


大陸侵略のために満州事変(1931年)を起こした当時も侵略という認識がなかった。満州事変の共謀者の関東軍参謀・石原莞爾は「日本の満蒙支配は中国人に幸せ」と述べたほどだ。当時の軍国主義者の考えはほとんどそうだった。西欧諸国主義に対抗した避けられない選択という認識だった。

しかし状況論の裏に隠れるには、日本人のアリバイがあまりにも弱い。日本の大衆の間では20世紀初めから侵略への熱望がはっきりしていた。メディアも大衆の好戦性を煽った。第1次世界大戦を機にドイツが占領していた中国の青島を日本軍が陥落させた時のことだ。現在の朝日新聞東京本社だった東京朝日新聞は1914年11月8日付に日本軍の勝戦ニュースを伝え、「愉絶快絶」と書いた。愉快で死にそうだという意味だ。他国を領土を占領したことを狂ったように楽しみながら「狂喜」とも言った。別の日本メディアが中国と国際社会の反応を無視したまま青島の領有権を主張した。当時の日本の雰囲気がどういうものかが分かる。



【コラム】草の根帝国主義、日本(2)

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