当時、李候補は忠清圏の拠点地域を訪問中だった。地方へ出張に行けば高速道路のサービスエリアに好んで立ち寄る李候補は、この日も同行記者2人とお茶を飲みながら問題の発言をした。この発言の10日後、孫候補は「私はシベリアに行く」と言って未練なく党を離れた。
2012年セヌリ党の党内選挙は完全な興行惨敗に終わったが、5年前は全く違った。李明博-朴槿恵(パク・クネ)の激しい先頭争いの中、党内選挙は序盤から熱くなった。孫候補は李-朴候補のために苦戦を強いられた。実力と商品性に比べ、成績(支持率)が上がらなかった。孫候補は自分の不振が2人の有力候補の派閥づくりのためだと失望感を表した。それでなくとも離党を悩んでいるところだった。シベリア発言は泣きたがっていた孫鶴圭の頬を殴ったようなものだ。当時、李候補は「オフ(レコ)を要請したが、記者がそのまま書いてしまった」と驚いた。一方、発言を報道した記者2人は「李候補はいかなる条件も付けずに発言した」と語った。
【侃ローバルアイ】李明博大統領、すでに頬を殴ったのなら(2)
2012年セヌリ党の党内選挙は完全な興行惨敗に終わったが、5年前は全く違った。李明博-朴槿恵(パク・クネ)の激しい先頭争いの中、党内選挙は序盤から熱くなった。孫候補は李-朴候補のために苦戦を強いられた。実力と商品性に比べ、成績(支持率)が上がらなかった。孫候補は自分の不振が2人の有力候補の派閥づくりのためだと失望感を表した。それでなくとも離党を悩んでいるところだった。シベリア発言は泣きたがっていた孫鶴圭の頬を殴ったようなものだ。当時、李候補は「オフ(レコ)を要請したが、記者がそのまま書いてしまった」と驚いた。一方、発言を報道した記者2人は「李候補はいかなる条件も付けずに発言した」と語った。
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