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【コラム】竹島に竹はない(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
日本の被害意識は韓国の光復節に合わせ極に達する。1945年8月15日朝、裕仁天皇が3分間の重大放送をした。題名は「大東亜戦争終結に対する詔書」だった。このように話した。「朕は帝国政府をして米英中ソ4カ国に対しその共同宣言を受諾する旨通告せり。(中略)他国の主権を排し領土を侵すが如きはもとより朕が志にあらず(中略)敵は新たに残虐なる爆弾を使用して頻りに無辜を殺傷し惨害の及ぶところ真に測るべからざるに至る(中略)なお交戦を継続せんが終いにわが民族の滅亡を招来するのみならず、人類の文明をもまた破却すべし」(金允植、『私が生きてきた20世紀文学と思想』より)


加害者の降伏宣言は被害意識で埋まっている。8月6日の広島、9日の長崎への原爆投下で9万人と6万人がそれぞれ死んだ。エノラ・ゲイのポール・ティベッツ大佐は自身の母の名前を付けたB-29を操縦し何かわからない新型爆弾を広島に投下した。絶対に振り返るなという司令部の命令を破りポールは振り返った。キノコ雲がわきあがり暴風が吹いた。原爆だった。ポールは自身もわからなかったその原爆の加害で一生苦痛を受け、「他国の主権を蹂躪した」日本は被害者として残った。終戦宣言には「降伏」という単語はなかった。「残虐な爆弾」に殺傷された被害意識だけ残った。それでこの時期になると日本は「民族の滅亡を防いだ」天皇の戦士らを賛えようと靖国神社を参拝し、「朕の一億万民の領土」を回復しようともがくのだ。




【コラム】竹島に竹はない(2)

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