李明博(イ・ミョンバク)大統領の独島(トクト、日本名・竹島)訪問で韓日が対立する状況で、韓国与野党の大統領選挙候補者が独島に対する認識をめぐり攻防を行っている。
発端は2日に民主統合党の文在寅(ムン・ジェイン)候補が「朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領が1965年にラスク米国務長官にその島(独島)を爆破してなくしたかったと話した」としながらだ。これに対し朴槿恵(パク・クンヘ)陣営のチョ・ユンソン報道官は11日、「外交文書によるとこの発言は日本側がしたことになっている」として文候補の主張を「明白な虚偽事実流布とうそ」と規定した。
文候補側は12日に反論資料を出し、日本がその話をしたことは事実だが朴元大統領もこの発言をしたと引かなかった。文候補側は米国立文書保管所の国務省機密対話備忘録を引用し、朴元大統領が65年6月に韓日協定妥結直前に米国を訪問し独島爆破発言をしたと提示した。
だが、12日に本紙が保坂祐二世宗(セジョン)大学教授(独島総合研究所所長)から入手した日本外務省文書(1965.6.22.15-226)によると、当時朴元大統領が独島守護に対する強い意志を日本政府に伝えた事実が確認された。朴元大統領は独島を韓日会談の議題からはずすよう指示し、日本が拒否すれば会談を中断しても良いという指示を当時の李東元(イ・ドンウォン)外務部長官に指示したという内容が日本側記録に明記されている。
文書は当時の推名悦三郎外相が韓日国交基本条約署名1日前の65年6月21日に交渉相手である李外相と交わした対話を記録したものだ。保坂教授は日本の外務省を相手取り日本の学界と市民団体が2006年に提起した外交文書公開請求裁判でこれを入手したと明らかにした。
文書によると、当時東京に滞在していた李長官は、「朴大統領は竹島問題を日韓会談の議題外とするように指示されるとともに、本件は韓国政府の安定と運命にかかわる重大問題であり、もし韓国側として受諾しうる解決策がないならば日韓会談を中止してもよいとまでいわれている」と日本側に明らかにした。これについて保坂教授は「韓日外交正常化のための基本条約署名1日前に朴大統領が独島問題をどのように認識していたのかがわかる重要な文書」と話した。このような圧迫で翌日に署名された条約には独島が紛争地域という文言が削除されたと保坂教授は主張した。
発端は2日に民主統合党の文在寅(ムン・ジェイン)候補が「朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領が1965年にラスク米国務長官にその島(独島)を爆破してなくしたかったと話した」としながらだ。これに対し朴槿恵(パク・クンヘ)陣営のチョ・ユンソン報道官は11日、「外交文書によるとこの発言は日本側がしたことになっている」として文候補の主張を「明白な虚偽事実流布とうそ」と規定した。
文候補側は12日に反論資料を出し、日本がその話をしたことは事実だが朴元大統領もこの発言をしたと引かなかった。文候補側は米国立文書保管所の国務省機密対話備忘録を引用し、朴元大統領が65年6月に韓日協定妥結直前に米国を訪問し独島爆破発言をしたと提示した。
だが、12日に本紙が保坂祐二世宗(セジョン)大学教授(独島総合研究所所長)から入手した日本外務省文書(1965.6.22.15-226)によると、当時朴元大統領が独島守護に対する強い意志を日本政府に伝えた事実が確認された。朴元大統領は独島を韓日会談の議題からはずすよう指示し、日本が拒否すれば会談を中断しても良いという指示を当時の李東元(イ・ドンウォン)外務部長官に指示したという内容が日本側記録に明記されている。
文書は当時の推名悦三郎外相が韓日国交基本条約署名1日前の65年6月21日に交渉相手である李外相と交わした対話を記録したものだ。保坂教授は日本の外務省を相手取り日本の学界と市民団体が2006年に提起した外交文書公開請求裁判でこれを入手したと明らかにした。
文書によると、当時東京に滞在していた李長官は、「朴大統領は竹島問題を日韓会談の議題外とするように指示されるとともに、本件は韓国政府の安定と運命にかかわる重大問題であり、もし韓国側として受諾しうる解決策がないならば日韓会談を中止してもよいとまでいわれている」と日本側に明らかにした。これについて保坂教授は「韓日外交正常化のための基本条約署名1日前に朴大統領が独島問題をどのように認識していたのかがわかる重要な文書」と話した。このような圧迫で翌日に署名された条約には独島が紛争地域という文言が削除されたと保坂教授は主張した。
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