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韓日サッカー対決、泥の上で始まった58年の歴史(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

チョン・ナムシク(真ん中)が日本選手の間でシュートしている。チェ・ジョンミン(左)とウ・サングォンもボールに向かって走り込んでいる。1954年に日本明治神宮で行われた韓日サッカーの最初の試合。韓国が5-1で勝った(写真スポーツ資料収集家イ・ジェヒョン氏)。

歴史のくび木がグラウンドの空気まで重くした。チョン・ナムシク(1917-2005)が日本のゴールキーパーとDFの間で必死に足を出してゴールを決めている(写真)。1954年3月7日、日本東京明治神宮競技場。前日の雨でグラウンドは泥沼のようになっていた。ここで栄辱の韓日サッカー史が始まった。

58年の歳月が流れた。韓国と日本のサッカーは「脱アジア」を目標にし、その夢に近付いた地点でまた会った。2012年8月11日(日本時間)、英カーディフのミレニアムスタジアムでロンドンオリンピック(五輪)銅メダルをかけて対戦する。韓国は準々決勝でサッカー宗主国の英国を破った。‘サッカーが宗教’のブラジルに敗れ、決勝進出はならなかった。日本は1次リーグで世界最強のスペインを破った勢いで4強まで進出した。しかしメキシコに逆転負けを喫し、3位決定戦に回った。

60年近い歳月、韓日サッカーは激しく戦った。栄光と挫折を経験した。お互いを越えるために全力を尽くした。そして並んでアジアを越えた。韓国と日本は五輪でメダルを争うほど強くなった。


◇五輪メダルは日本が先=1954年スイスサッカーW杯の地域予選で韓国と日本は初めて対戦した。当時の李承晩(イ・スンマン)大統領は「日本選手を韓国には入れない」と述べた。このためホームアンドアウェー方式の予選が日本での2試合に変わった。「日本に負ければ玄海灘(大韓海峡)に飛び込んで死ぬ!」。韓国選手は大統領の前で「必死則生」(死を必すれば則ち生き、生を幸えば則ち死す)を誓約した。韓国は3月7日の最初の韓日戦で5-1と勝利した後、14日の試合では2-2で引き分け、W杯本大会の舞台を踏んだ。

しかし国際舞台で先に頭角を現したのは日本だった。日本は68年メキシコ五輪で銅メダルを獲得した。しかし80年代以降は韓国の一方的な優勢だった。韓国は86年メキシコW杯の最終予選第1、2戦で日本を連破し、32年ぶりにW杯本大会に進出した。

韓国は80年代から90年代まで日本を15勝5敗6分けと圧倒した。日本は韓日戦で得るものはないと判断した。このため韓日定期戦はなくなった。韓日戦の白眉は97年9月28日の「東京大捷」だ。韓国は98年フランスW杯のアジア予選で0-1とリードを許していたが、徐正源(ソ・ジョンウォン)と李敏成(イ・ミンソン)のゴールで大逆転した。



韓日サッカー対決、泥の上で始まった58年の歴史(2)

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