全羅南道順天雲坪里(チョンラナムド・スンチョン・ウンピョンリ)の古墳群で、日本の「任那日本府説」に反論できる大伽耶系遺物が大量に出土した。写真は発掘された大伽耶系土器。日本は雲坪里の古墳群がある沙陀(順天の昔の地名)を任那四県の一つと主張したが、今回の発掘で虚構であることが明らかになった。韓国考古学界は、任那四県は大伽耶の支配を受けた4つの地域(地図上の大使・帯沙、現在の順天・光陽䖁麗水)に限られたとみている。[写真=順天大博物館]
地図
雲坪里古墳群は日本が主張してきた「任那四県」の一つの沙陀(順天の昔の地名)に属している。全羅南道東部地域では唯一、古塚が残っている伽耶系の古墳群で、06年と08年に続いて3度目の発掘作業が行われた。今回発掘された古塚は、百済が全羅南道東部圏を掌握する直前の西暦500年ごろの順天地域の支配層の墓と確認された。
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