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【グローバルアイ】キム・ヨン世界銀行総裁指名に込められた意味

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
#韓日会談反対デモが行われていた1964年。 5歳の子どもはアルファベットも知らないまま、歯医者だった父に連れられて米国へ渡った。 当時、韓国の1人当たりの国民所得は105ドル。 フィリピンの3分の1、ケニアとほぼ同じ水準だった。 有色人種がほとんどいなかったアイオワ州の地方都市で彼がぶつかったのは差別の壁だった。 しかし彼はスポーツでこの壁を乗り越えた。 ブラウン大学を経てハーバード医大を卒業した彼は、人道主義者に生まれ変わった。 アフリカと中南米で結核・エイズと闘った。 09年に彼がアジア人としては初めて、米国東部名門アイビーリーグ、ダートマス大学の総長になったのは偶然ではない。 23日(現地時間)にオバマ大統領が次期世界銀行(IBRD)総裁に指名したキム・ヨン総長のことだ。

#キム総長が太平洋を渡った頃、韓国は第一次経済開発5カ年計画に着手したところだった。 しかし資源どころか、韓国戦争(1950-53)、政治混乱に軍事クーデターまで発生した国に投資する人はいるはずがなかった。 ドルを渇望する韓国に慈雨を降らせたのはIBRDだった。 第2次世界大戦後、ドルを基軸通貨とする「ブレトンウッズ体制」をスタートさせ、国際通貨基金(IMF)とともに設立されたIBRDは‘奨学生’が必要だった。 韓国は貧しかったが、勉強ができる‘小川の竜’だった。 釜山(プサン)港、嶺東(ヨンドン)高速道路、ソウル・釜山・大邱(テグ)地下鉄、慶州(キョンジュ)普門団地と済州(チェジュ)中文団地、全国各地の保健所…。 70、80年代の「漢江の奇跡」の後には決まってIBRD借款の‘洗礼’があった。 IBRDと縁を結んで33年目の95年、韓国はIBRD奨学生を卒業した。

2つの場面のどちらか一つでも抜けていれば、オバマ大統領はキム・ヨン総長カードを取り出すのは難しかったはずだ。 韓国が今でもIBRD借款に頼る莫大な借金国ならどうだろうか。米国の主流社会で成功し、博愛主義者として隣人までも世話をする韓国系米国人がいなかったとすればどうだろうか。もしかすると今回のキム総長指名は、国と個人の栄誉以上の意味が込められているのかもしれない。 オバマ大統領が誇る米政界の大物ではなくキム総長を選択したのは、ブレトンウッズ体制の危機を反映した苦肉の策でもあるからだ。 政治的には米国、経済的にはドルを‘ワントップ’にした独走体制はこれ以上支えるのが難しくなった。


いま国際政治・経済秩序の枠が新たに形成される激動期が来ている。 この決定的な局面に、世界3大国際機構のうち国連に続いてIBRDの首長に韓国系が就任することになったのは、まさに「天佑神助」だ。 さらに韓国は2010年の主要20カ国・地域(G20)首脳会議に続き、今年は核安全保障サミットの議長国になった。 いつも他国の手に国の運命を任せなければならなかった境遇から、主賓テーブルに移ることになったのだ。 この激動の過渡期にホスト役で終わるのか、それとも本当の主演俳優として花を咲かせるかは、結局、私たちにかかっている。



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