大友良英氏が京畿道竜仁のナムジュン・パイクアートセンターに設置した「ウィズアウトレコード」の中に立っている。80個の古いターンテーブルが回り、針の摩擦音と叩く音だけで合奏する。
同年3月の福島原子力発電所事故に衝撃を受けた彼は、福島の孤立を防ごうとこのフェスティバルを企画した。音楽祭は基本。科学者は放射能について講演し、フードコートでは各地域の食べ物の放射能数値を測定した。インターネットでリアルタイム映像を見た人は25万人。東日本大震災1周年を迎えて訪韓した大友氏に先週会った。
――プロジェクトを企画した動機は。
「怒りと自責だった。いったいどうしてこのようなことが起きるのかと思う怒りだった。日本には54基の原子力発電所がある。その状況になるまで多くの日本人は何もしなかった」。
――福島で育ったが。
「9歳から18歳までだ。事故から1カ月後に福島に行き旧友や知り合いに会った。みんな胸に穴が開いたような顔をしていた。山と水、空は相変らず美しかったが放射能数値が高いといった。何かをしなければならなかった」
――あなたにとって福島は。
「どうにか脱出したかった所だ。東京と近いのに田舎のようだ。保守的で苦しかった。東京のために電力を供給する植民地のようなところだった」
――大災害で芸術は何をすることができるだろうか。
「災害の現場で芸術家は取るに足らない必要ない存在だ。警察・軍人がもっと必要だ。だが、生存問題がある程度解決されれば人々はどのように暮らすのかを考える。芸術はまさにその地点にある。新しいアイデアを伝達するメディアになること、それが芸術の役割だ」。
逆説のパフォーマンスで福島に向き合う日本の芸術家(2)
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