日本列島全体が復興を叫びながら一つになった1年だった。しかし現場を取材する記者の立場から見ると、変わったものはほとんどないように見える。少なくとも外形的にはそうだ。地震と津波が襲った現場は相変わらずだった。あちこちに数十メートルの高さのゴミの山があるだけで廃虚に近かった。「放射能の恐怖のためにゴミを受け入れるところがない」(陸前高田市・戸羽太市長)という説明だった。行方不明者も3155人にのぼる。避難生活をする人は約34万人。このうち職場を失って再就職できない人は40%。宮城県気仙沼で会ったおよそ60歳代の住民の「結局、被災者だけがかわいそうな立場に…」という言葉が胸を締めつけた。
この1年間は日本が誇ってきた「安全神話」と「固定観念」がどれほどはかないものかを悟らせた。それを悟ったこと自体が日本にとって大きな教訓なのかもしれない。先月28日に「3・11民間調査報告書」発表場で会った福島原発事故独立検証委員会の北沢宏一委員長はこのように語った。「政府関係者に会ってみると、誰もが『個人的には(原発の)安全対策に問題があると思っていた。しかし自分が何か言ったところで変わるものでもないという考えで周囲の雰囲気ばかり見ていた』という。周囲の雰囲気ばかり見る社会は原子力のように規模や危険が大きく複雑な技術を安全に運営する‘資格’がない」。
この1年間は日本が誇ってきた「安全神話」と「固定観念」がどれほどはかないものかを悟らせた。それを悟ったこと自体が日本にとって大きな教訓なのかもしれない。先月28日に「3・11民間調査報告書」発表場で会った福島原発事故独立検証委員会の北沢宏一委員長はこのように語った。「政府関係者に会ってみると、誰もが『個人的には(原発の)安全対策に問題があると思っていた。しかし自分が何か言ったところで変わるものでもないという考えで周囲の雰囲気ばかり見ていた』という。周囲の雰囲気ばかり見る社会は原子力のように規模や危険が大きく複雑な技術を安全に運営する‘資格’がない」。
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