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【コラム】海洋主権を守った李承晩の平和線

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
今月18日は、李承晩(イ・スンマン)元大統領が「隣接海洋の主権に関する大統領宣言」、いわゆる平和線を宣布して60年となる日だった。 韓国戦争(1950-53)で余裕がなかった大韓民国の水産資源をさらって行った日本に対して海洋主権戦争を宣布した日だ。

平和線を宣布した1952年1月は、未来がどうなるのか一寸先も予想できない時代だった。 内外で難しかった時代だったが、李承晩大統領はタイミングを逃さずに「李承晩ライン」を宣布した。 ここでのタイミングとは、1952年初めから稼働する「サンフランシスコ講和条約」をいう。 この条約で日本は太平洋戦争敗戦国の地位を抜け出し、名実ともに世界の国家として生まれ変わる権利を回復することになる。

彼は国際政治学博士論文を準備しながら、独島(ドクト、日本名・竹島)はもちろん、対馬も本来は韓国の領土であることを知った。 日本の真珠湾攻撃の3、4カ月前に脱稿した「Japan inside out」で、彼は過去から伝えられてきた「韓国と日本の間の明確な海上境界」があると主張した。 それは対馬と壱岐を韓国の領土とする海洋境界線をいう。 李承晩大統領は執権3日後の1948年8月18日、日本に対馬の返還を要求した。 翌年1月8日の年頭記者会見で再び日本の対馬返還と壬辰倭乱(文禄・慶長の役)までの賠償を要求した。 日本が独島を自国の領土だと主張する本当の理由を李承晩大統領は看破していた。 「独島で劣勢になれば対馬も危険だ」という日本の危機意識を、李承晩大統領は見通していたのだ。


国際法上、領土取得の根拠には先行獲得(occupation)、時効(prescription)、公認(recognition)と実効的支配などがある。 韓国の独島領有権は、先行獲得や時効の観点ではいかなる問題もない。 公認の観点でも特に問題はない。 なぜなら日本が1862年に米国から、小笠原諸島を日本の領土と公認を受ける時に根拠として出した地図がまさに「三国接壌之図」(林子平制作)フランス語版」だったからだ。 米国から小笠原群島の公認を受けたこの地図には、独島と対馬が韓国の領土と表記されている。

李承晩の平和線がなぜ重要なのか。それは領土取得の4つ目の根拠である独島に対する実効的支配の契機をつくったからだ。 この国には多くの独島愛NGOがある。 ところが独島の「実効的支配」の契機をつくった「李承晩ライン」に言及する団体はほとんどない。 李承晩の歴史が正されてこそ、大韓民国の歴史が正される。

金一柱(キム・イルジュ)高麗(コリョ)大教育大学院兼任教授



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