朴賛浩(パク・チャンホ、39)がハンファのユニフォームを着て初めて公式行事に参加した。6日に大田(テジョン)球場で行われたハンファ球団の始務式だ。
背番号「61」のユニフォームを着てグラウンドに入った朴賛浩は期待とときめきに満ちた表情だった。91年の公州(コンジュ)高3年当時、ピングレ球団の招待で大田球場を訪れて以来21年ぶりだ。
この日、軽い練習をした朴賛浩は「ハンファ選手」であることを強調しながら「適応」と「疎通」を繰り返した。朴賛浩は「長い間の外国生活で知らず知らずのうちに体に違った習慣が身に付いているはず。自分が感じる不便もあり、同僚が感じる不便もあるだろう。後輩たちと多くの部分を共有し、力になりながら過ごしていきたい」と述べた。
また「ハンファはチームというよりも家族という考え。私は誰と一緒によく食事をしたかで‘親しさ’を判断したりする。同僚とはほとんど毎日のように一緒に食事をしている」とも語った。
--チームの後輩とは親しくなったか。
「後輩たちはみんな私を『先輩』と呼ぶ。金泰均(キム・テギュン)・柳賢振(リュ・ヒョンジン)とは親しいが、2人もまだ私を『先輩』と呼ぶ。何か距離を感じるので気に入らない。それでみんなに『兄貴と呼んでほしい』と伝えた。米国では『チャプ(chop)』と呼ばれた。フィラデルフィア時代に同僚のジミー・ロリンスが私の名前を縮めて付けた。兄貴が嫌なら他の呼び方を作ってくれてもかまわない。李承ヨプ(イ・スンヨプ)は時々『おい、チャプ』とふざけることもあった」
--後輩たちとはどんな話をしたか。
「自分ではユーモアに自信があるが、思い切ってギャグをしても誰も笑わない。むしろ何かを仕損じればよく笑ってくれる。ミスでもギャグでも後輩を楽しませたい。高校の時まで自分にとって野球は戦争だった。メジャーに行って‘Must have fun(楽しまなければいけない)’という言葉を習った。勝てなくてもその中で学ぶことがあれば十分に楽しめる。ハンファで最善を尽くして、その中で楽しみを見いだせる雰囲気でつくりたい。洪性フン(ホン・ソンフン、ロッテ)のようなオーバーアクションやギャグの本能はないが、柳賢振を誘って一緒に雰囲気を作りたい」
韓国人初のメジャーリーガー、アジア人メジャーリーグ通算最多勝(124勝)投手の朴賛浩は近寄りがたい存在だ。朴賛浩を見て野球を始めた選手も多い。4番打者の金泰均(30)も天安(チョンアン)北一高1年だった99年、「朴賛浩野球奨学金」を受けた。実際、始務式のために朴賛浩が選手団に合流すると、ハンファの選手は一斉に帽子を取って挨拶した。朴賛浩は当惑したような表情で、そうするなと合図した。このため朴賛浩は自ら「距離感」をなくすことを最優先に選んだのだ。
--韓国打者のレベルが高まった。
「メジャーリーグに進出した後輩もいて、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)やオリンピック(五輪)、アジア競技大会などで試合をしながら、後輩たちが世界的なレベルになったということを感じた。後輩が意欲的に向かってくると思うが、こうした緊張感を楽しみたい。李承ヨプや崔炯宇(チェ・ヒョンウ)のような後輩との対決がファンにとってはおもしろい場面になるのではないだろうか」
--10勝はできそうか。
「10勝にこだわりたくない。10勝であれ1勝であれ、多くの試合に出てよい姿を見せるのが重要だ。必ず上手くやってこそファンや後輩にメッセージを伝えられるわけではない」
中央日報と日刊スポーツが野球関係者31人を対象に行った「朴賛浩は10勝が可能か」というアンケート調査では、金星根(キム・ソングン)高陽(コヤン)ワンダーズ監督、柳仲逸(リュ・ジュンイル)サムスン監督、斗山(ドゥサン)投手の金善宇(キム・ソンウ)、サムスンの崔炯宇ら24人(77.4%)は「可能」と答えた。
朴賛浩も「いつも問題点を指摘してくださる金星根監督から『うまくいくだろう』と激励を受け、エネルギーを得ることができた」と語った。
背番号「61」のユニフォームを着てグラウンドに入った朴賛浩は期待とときめきに満ちた表情だった。91年の公州(コンジュ)高3年当時、ピングレ球団の招待で大田球場を訪れて以来21年ぶりだ。
この日、軽い練習をした朴賛浩は「ハンファ選手」であることを強調しながら「適応」と「疎通」を繰り返した。朴賛浩は「長い間の外国生活で知らず知らずのうちに体に違った習慣が身に付いているはず。自分が感じる不便もあり、同僚が感じる不便もあるだろう。後輩たちと多くの部分を共有し、力になりながら過ごしていきたい」と述べた。
また「ハンファはチームというよりも家族という考え。私は誰と一緒によく食事をしたかで‘親しさ’を判断したりする。同僚とはほとんど毎日のように一緒に食事をしている」とも語った。
--チームの後輩とは親しくなったか。
「後輩たちはみんな私を『先輩』と呼ぶ。金泰均(キム・テギュン)・柳賢振(リュ・ヒョンジン)とは親しいが、2人もまだ私を『先輩』と呼ぶ。何か距離を感じるので気に入らない。それでみんなに『兄貴と呼んでほしい』と伝えた。米国では『チャプ(chop)』と呼ばれた。フィラデルフィア時代に同僚のジミー・ロリンスが私の名前を縮めて付けた。兄貴が嫌なら他の呼び方を作ってくれてもかまわない。李承ヨプ(イ・スンヨプ)は時々『おい、チャプ』とふざけることもあった」
--後輩たちとはどんな話をしたか。
「自分ではユーモアに自信があるが、思い切ってギャグをしても誰も笑わない。むしろ何かを仕損じればよく笑ってくれる。ミスでもギャグでも後輩を楽しませたい。高校の時まで自分にとって野球は戦争だった。メジャーに行って‘Must have fun(楽しまなければいけない)’という言葉を習った。勝てなくてもその中で学ぶことがあれば十分に楽しめる。ハンファで最善を尽くして、その中で楽しみを見いだせる雰囲気でつくりたい。洪性フン(ホン・ソンフン、ロッテ)のようなオーバーアクションやギャグの本能はないが、柳賢振を誘って一緒に雰囲気を作りたい」
韓国人初のメジャーリーガー、アジア人メジャーリーグ通算最多勝(124勝)投手の朴賛浩は近寄りがたい存在だ。朴賛浩を見て野球を始めた選手も多い。4番打者の金泰均(30)も天安(チョンアン)北一高1年だった99年、「朴賛浩野球奨学金」を受けた。実際、始務式のために朴賛浩が選手団に合流すると、ハンファの選手は一斉に帽子を取って挨拶した。朴賛浩は当惑したような表情で、そうするなと合図した。このため朴賛浩は自ら「距離感」をなくすことを最優先に選んだのだ。
--韓国打者のレベルが高まった。
「メジャーリーグに進出した後輩もいて、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)やオリンピック(五輪)、アジア競技大会などで試合をしながら、後輩たちが世界的なレベルになったということを感じた。後輩が意欲的に向かってくると思うが、こうした緊張感を楽しみたい。李承ヨプや崔炯宇(チェ・ヒョンウ)のような後輩との対決がファンにとってはおもしろい場面になるのではないだろうか」
--10勝はできそうか。
「10勝にこだわりたくない。10勝であれ1勝であれ、多くの試合に出てよい姿を見せるのが重要だ。必ず上手くやってこそファンや後輩にメッセージを伝えられるわけではない」
中央日報と日刊スポーツが野球関係者31人を対象に行った「朴賛浩は10勝が可能か」というアンケート調査では、金星根(キム・ソングン)高陽(コヤン)ワンダーズ監督、柳仲逸(リュ・ジュンイル)サムスン監督、斗山(ドゥサン)投手の金善宇(キム・ソンウ)、サムスンの崔炯宇ら24人(77.4%)は「可能」と答えた。
朴賛浩も「いつも問題点を指摘してくださる金星根監督から『うまくいくだろう』と激励を受け、エネルギーを得ることができた」と語った。
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