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<野球>オリックスの李大浩、11年前にメジャーが関心

ⓒ ISPLUS/中央日報日本語版

李大浩(イ・デホ、29)。

李大浩(イ・デホ、29)は来年、日本プロ野球オリックスのユニホームを着てグラウンドを走る。 01年にロッテに入団し、11年目での海外進出だ。

日本プロ野球は今年、公認球の反発力を低めたことで、長打が激減した。 韓国産大砲の李大浩に対する期待はそれだけに大きい。 2年・7億6000万円という歴代最高条件が提示された理由だ。 しかし李大浩の海外進出は、はるか以前に実現する可能性があった。

李大浩は慶南(キョンナム)高3年だった00年、ロッテに2次ドラフト1位で指名された。 指名会議後、ロッテのスカウトチームは李大浩に会いに行って入団契約書を出した。 しかし意外な言葉が返ってきた。 「メジャーリーグに行くことにした。 エージェント契約も終えた」ということだった。


1994年に朴賛浩(パク・チャンホ)がLAドジャースに入団した後、アマチュア有望株の海外進出が活発だった時期だった。 少なくないアマチュア有望株がメジャーリーグのスカウトと接触した。 李大浩の同期生の中でも釜山(プサン)高の秋信守(チュ・シンス、現クリーブランド)がシアトルと、ケソン高のチェ・テイン(サムスン)がボストンと契約した。 当時のロッテのスカウトだったユン・ドンベ上東野球場事務所長は李大浩に対し、「その契約書を一度見せてほしい」と話した。

ユン氏は当時のことについて「正確な契約書の内容は覚えていないが、 選手にかなり不利だった契約だと記憶している」とし「エージェントを訪ねて問うべき点を問うた。 怒鳴りつけるようにして契約書を見せてもらった」と話した。 契約書の条項はさておき、チーム戦力の老衰化が始まっていたロッテにとって、李大浩は必ず獲得しなければならない選手だった。 結局、李大浩はメジャーリーグ球団ではなくロッテに入団し、海外進出も11年延びた。

99年まで慶南高の監督を務めたタンパベイのスカウト、チョン・ヨンヒ氏は「99年の台湾世界ユース選手権大会で韓国代表チームの監督を務めた。 その時、数人のエージェントとスカウトが台湾に来た」とし「李大浩もすでにエージェント契約が終わったと聞いた。 李大浩は3歳上の兄のほかには進路問題について相談する相手がいなかった」と回想した。 チョン氏は「李大浩は日本よりも米国の野球が合う選手。 しかし当時米国へ行った有望株の多くが野球孤児になった」と話した。

李大浩は01年にロッテに入団するやいなや右肩をけがした。 過去のことに仮定は無意味だが、1年目にけがをしたアジア系の選手が米国でチャンスをつかむのは難しい。 李大浩はスカウトや選手育成担当が好む「ツールプレーヤー」スタイルでもなかった。

結果的に11年待った末、李大浩は歴代最高条件で日本に進出できた。 いま李大浩は「私の夢はもっと大きい。 韓国でも、日本でも、(いつかは)米国でも最高選手になりたい」と堂々と話す。



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