孫正義ソフトバンク会長(左)が05年初め、ソフトバンク・ホークスの王貞治監督(右)、選手らと会っている。 孫会長は王監督を副社長に昇進させ、球団運営の全権を任せた(写真=ソフトバンク提供)。
競争の力は驚くほどだった。 03年、ついに日本の超高速インターネット料金が韓国よりも安くなった。 ソフトバンクと日本最大通信企業NTTが激しく競争した結果だ。
危機もあった。 2004年2月に加入者の情報425万件が流出した。 私は断固たる対応を取った。 犯人の脅迫電話を受けるやいなや警察に知らせた。 容疑者の逮捕後、被害規模を把握し、直ちに記者会見を行った。 超高速インターネット事業が軌道に乗ったところだった。
役員は私が前面に出るのを引き止めた。 これを振り払ってカメラの前に立った。 「セキュリティーシステムが十分でなかった。 顧客情報を扱う部署が非正社員中心に組まれていた」と正直に伝えた。 非難が殺到したが、弁解はしなかった。 その代わり誰も何も言えないような果敢な対策を相次いで出した。 その中には顧客情報担当の正社員3000人の採用計画もあった。 当然その通りにした。
ソフトバンクの挑戦で日本に超高速インターネット世界が開かれた後、私は職員にこう話した。
「世の中が悪い、政治家が間違っている、景気が良くない、そういった愚痴を言ってもどうにもならない。 世の中は変わらない。 不平は結局、本人の器を小さくする。 そんな時間があれば命を捨てる覚悟でやればいい。 そうすれば波が起こる」
#王貞治…少年時代の偶像に会う
2004年12月、私はソフトバンクの職員も驚くようなニュースを発表した。 ダイエー・ホークス球団を買収することにしたのだ。 ホークス球団の根拠地は福岡。 私が生まれ、また初めて事業を始めたところだ。 そこで送った幼い時代、私は本当に野球が好きな少年だった。 私には神様のような偶像があったが、それは王貞治選手だった。 ちょうど売りに出された当時のダイエー・ホークスの監督は王貞治氏だった。 王氏と一緒にチームワークを組めるということに胸が躍った。
しかしそれだけの理由で100億円のディールに踏み切ることはできなかった。 事業的な必要性もはっきりとしていた。 超高速インターネット事業をするまで、ソフトバンクは一般に広く知られた会社ではなかった。 ヤフージャパンが日本サイバースペースを掌握するほどになったが、有名なのは「ヤフー」であり「ソフトバンク」ではなかった。 超高速インターネットブランドをソフトバンクBBではなくヤフーBBにした理由でもある。 ソフトバンクが大衆にさらに近づける契機が必要だった。
日本プロ野球協会の新球団オーナー審査は非常に厳しい。 3カ月間の企業の財務状態はもちろん、オーナーのモラル、主要納品先などがチェックされる。 このため日本でプロ野球球団オーナーになるというのは、それだけクリーンで信頼できる企業ということを意味する。
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