釜山の讃岐うどん専門店「武田屋」でミン・ヒョンテク(43)さんが麺を見せている。 日本で3年間の修行を積んで店を出した。 ミンさんは「飲食店は真心が競争力」と話す。
しかしすべての自営業者がそういうわけではない。 不況を他国の話のように考える自営業者もいる。 客が減るどころか、日々、客が増えている飲食店、サービス自営業者、フランチャイズ店の経営者に会った。
秘訣はこうだ。 「真心こそが最高の競争力」「顧客の立場で考える習慣をつける」「今よい事業ではなく今後よくなる事業を選べ」。
「飲食店は決してやさしいものではない。 一に誠意、二に誠意。 創業の準備をする時から真心を込めなければいけない」。釜山市南天洞(プサンシ・ナムチョンドン)でうどん専門店「武田家」を経営するミン・ヒョンテクさん(43)。
製薬会社の営業社員だったミンさんは06年に会社をやめて、京畿道盆唐(キョンギド・ブンダン)に焼き肉店を始めた。 500万ウォンを出して1カ月間、釜山の焼き肉店で調理技術を学ぶなど、それなりに努力した創業だった。 自ら頑張って準備したと思ったが、味とサービスに対する顧客の反応はよくなかった。 退職金と貯金1億5000万ウォン(約1000万円)を1年間で失って閉店した。
「しばらくさまよっていたが、 ある日、 営業社員当時に接待でよく行っていたホテルのうどんの味を思い出した。 小麦粉、塩、水だけを使って作ったコシのある讃岐うどんだった。 それをやってみようと決心した」。
ホテルを訪ねたところ、うどんを作っていた日本人料理人は引退して故郷へ帰ったということだった。 しかしミンさんは当時、日本人の料理人と親しくなっていたため、日本国内の連絡先まで聞いていた。 韓国の日本語学校で1カ月間習った実力に頼り、07年、とにかく日本に渡った。 日本人料理人は「私は引退した」と言いながら、他のうどん店の料理人を紹介してくれた。
最初は水沸かしや清掃など雑用ばかりだった。 6カ月が過ぎてから厨房での仕事が許された。 その料理人は「6カ月間、雑用ばかりさせたのは、うどんに対する熱情を確認するためだった」と述べた。 その後2年6カ月間はコシが強いうどんをつくる技術を学んだ。 3年経ってから料理人はこう話した。 「それくらいなら韓国で事業をしてもよい」。そして決して忘れてはならない一言。 「小さな技術は真心に勝てない」。
昨年7月に開店したうどん店はうわさが広まり、先月の売上高は9000万ウォンに達した。ミンさんは「不況にも動じない飲食店をつくるには、準備の過程から誠意を持ってやらなければいけない。外食業を始めて3年以内に半分の店がつぶれるのは、真心を込めて準備をしていないため」と話した。
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