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18世紀の朝鮮人もすき焼きやワッフルを楽しんだ(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

1783年に釜山東莱府所属の画員だった卞撲が描いた釜山草梁の「倭館図」。現在の竜頭山公園にある釜山タワーのある場所だ。(ソン・スンチョル教授提供)

草梁倭館の規模はかなり大きかった。現在の10万坪に相当する敷地に約500人の日本人が居住したと記録に伝わっている。日用品を販売する商店から酒場、寺まで持っていた。田代教授は、「外国人のための施設としては当時東アジア地域で最大規模だっただろう」と評価する。現在釜山の竜頭山(ヨンドゥサン)公園にある釜山タワーから海岸までの一帯が草梁倭館の場所だ。しかし当時は竜頭山を越えなくては朝鮮人の村がないほどひっそりとしていたところだった。朝鮮人との接触を防ぎ倭乱のような暴動を未然に防止するための措置だった。

田代教授によると草梁倭館では韓日の食文化交流が盛んだった。朝鮮人はオベリヤスのような日本の菓子を絶品と称えた。朝鮮人の接待にはもれなく登場した。朝鮮人は菓子を食べず記念品として持っていき周辺に広まっていった。田代教授は、「18世紀ごろの日本では質の良い白砂糖が商用化されており、したがって菓子の色と味が豪華になり貿易品としてしばしば使われた。そこで朝鮮の倭館に日本の菓子が入ってくることになった」と説明した。

倭館では韓日の食文化の長所が出会って再誕生することもあった。そのひとつが当時の日本の鍋料理だったすき焼きだ。醤油と肉、魚、出し汁程度で味を出したすき焼きが朝鮮のタイとユズ、ネギ・サトイモ・ゴボウ・セリのような豊富な野菜に会って豪華でたっぷりなものに変わった。朝鮮人のテーブルに上がったのはもちろんだ。


倭館はその過程で得たものなどを本国に知らせた。朝鮮通信使一行が日本に行くことになれば倭館はあらかじめ接待要領と注意点などを本部と交換した。田代教授は、「倭館は、『白砂糖を使った菓子を出し、柑橘類は朝鮮では貴重なので産地から直送されてきた新鮮さを示せるよう葉がついたものを上げること』という注意事項を話した。こうしたものは倭館だけが持った特殊情報だ」と説明した。



18世紀の朝鮮人もすき焼きやワッフルを楽しんだ(1)

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