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18世紀の朝鮮人もすき焼きやワッフルを楽しんだ(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

現在の釜山。右側のタワーから海までが草梁倭館があったところだ。

18世紀の朝鮮にワッフルがあった。信じられないだろうが事実だ。釜山(プサン)にあった草梁倭館(チョリャン・ウェグァン)で朝鮮人の客に出した菓子に「オベリヤス」というものがあったが、これはオランダ式ワッフル「オブリエ」に由来したものだ。

慶応大学の田代和生名誉教授が12日にソウルで開かれた学術会議「韓日関係の中の倭館」の基調講演で明らかにした内容だ。韓日の学者20人余りが参加したこの学術会議は、倭館だけを主題に開かれた初めての学術会議だ。学術会議では倭館の商取引風習、朝鮮人と日本人の間の痴情と殺人事件のようなものが初めて公開された。

倭館は朝鮮が蔚山(ウルサン)・塩浦(ヨムポ)、釜山浦、鎮海(チンヘ)・薺浦(チェポ)の三浦を開港して設置した宿舎であり商取引場だ。朝鮮時代の「リトルトーキョー」だった。この倭館は現在の慶尚北道漆谷郡倭館邑(キョンサンブクド・チルゴクグン・ウェグァンウプ)ではない。朝鮮成宗(ソンジョン)の時代から、洛東江(ナクトンガン)下流から船に乗り上がってきた物品をソウルに運ぶ前に保管した倭物庫が倭館邑周辺にあっただけだ。朝鮮はソウル・乙支路(ウルチロ)にも東平館という駐在所を置き倭館に居住する日本人商人代表が朝鮮王と謁見する際に滞在できるようにした。


この学術会議を主管した江原(カンウォン)大学のソン・スンチョル教授(史学科)は、「王と謁見し服従の意思を明らかにさせたのは外交秩序を朝鮮中心に作っていったという意味」と評価した。

ところが倭館の規模が大きくなり朝鮮の統制に反発して三浦倭乱を起こして壬辰倭乱(文禄慶長の役)の際に道案内まですると朝鮮後期には倭館は釜山浦草梁1カ所に減った。学術会議では草梁倭館に関する話がたくさん出た。



18世紀の朝鮮人もすき焼きやワッフルを楽しんだ(2)

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