孫正義会長が04年10月、東京証券取引所で、超高速インターネット事業の子会社「ヤフーBB」の上半期の実績を発表している。(写真提供=ブルームバーグ)
ヤフーをはじめ、クリック数が世界1、4、9、12位のサイトが私たちの所有だった。世界インターネットトラフィックの50%がここで発生した。毎月130種、900万部の雑誌を印刷した。株価が上がっている時は、財産が1週間に1兆ウォンずつ増えた。その年、タイムとニューズウイークは私を「今年のアジア人物」に選んだ。
ところが翌年3月に天が崩れ落ちた。「ドットコムバブル」が一瞬にしてはじけてしまったのだ。1株1200万円のソフトバンクの株価は100分の1になった。私の財産も700億ドルから10億ドル未満に落ちた。
IT企業家は突然、犯罪者扱いされた。アップルのスティーブ・ジョブズ、ヤフーのジェリー・ヤン、アマゾンのジェフ・ベゾス創業者も似ていた。数カ月前まで「お金は面倒だ」という思うほどだったが、いつの間にか負債が財産を上回っていた。しかしそうであるほどまた戦闘力が沸き上がってきた。私は99年、すでに株主にこういう話をしていた。
「今からインターネット事業にオールインする。その他の事業はすべて整理する。電話・コンピューターがそうだったように、登場5、6年で黒字が出る新事業はない。私たちもしばらく赤字を覚悟しなければいけない」。
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