「キム・ハンソルは毎年夏に北朝鮮で祖父(金正日総書記)を含む家族とともに時間を過ごすという感じを受けた」。ユナイテッドワールドカレッジ(UWC)香港分校のスチーブン・コドリントン前校長の話だ。ハンソルはこの学校の入学許可を受けたが、ビザ問題で失敗に終わった。ハンソルが志願した今年初めにこの学校の校長だったコドリントン氏は、選考過程でハンソルを2時間半にわたりインタビューし、その内容をこのほどボイス・オブ・アメリカ(VOA)とのインタビューで明らかにした。主要内容を紹介する。
――ハンソルが金総書記の孫であることをどのように知ったか。
「願書に家族状況を自発的に書く欄があり、そこに『金正日の孫』と書いた。両親の名前は願書の別の欄に書いた」
――香港分校に入学できない理由は。
「われわれは許諾した。ところが香港移民局がビザ発給を拒否した。われわれは香港移民当局とビザ問題でいつも苦労している。毎年窮屈になる。今年はネパールやカンボジア出身の学生にビザを出さなかった。北朝鮮もそうしたリストに入っているかもしれない」
――ボスニアに行くことになった過程は。
「ビザ発給が拒否された後、私は他のUWC校長らに連絡した。いくつかの大学が肯定的で、そのうちの1校はすぐに『イエス』を伝えてきた。ハンソルは当初OKしたが、間もなくだめだと知らせてきた。祖父が『安全のためだめだ』と話したという感じをハンソルの電子メールから受けた。香港は中国なので大丈夫だが他の所はだめだ。欧州から選ぶようにと言ったようだ。ハンソルを受け入れるといったところには米国の大学もあった。そこで肯定的だった欧州の3大学のうち最も積極的で両親も大丈夫だといったボスニアに行くことになった。欧州を選ぶ理由についてハンソルは、『父(金正男)が来年にマカオを離れ欧州で仕事をするため』と私に話した」
――希望は何か。
「南北に平和を持たらし和解させることだといった」
――ハンソルに対する印象は。
「英語が上手だった。中国語も話すといった。カリスマがあり自信があった。傲慢でなかった。外向的だったし正常な16歳だった。趣味は写真を撮ることといった」
ボスニア、ハンソルに就学ビザ…ボスニア当局が金総書記の孫のハンソルに就学ビザを発給することにしたと読売新聞が8日、ボスニア・ヘルツェゴビナの現地メディアを引用して報道した。
――ハンソルが金総書記の孫であることをどのように知ったか。
「願書に家族状況を自発的に書く欄があり、そこに『金正日の孫』と書いた。両親の名前は願書の別の欄に書いた」
――香港分校に入学できない理由は。
「われわれは許諾した。ところが香港移民局がビザ発給を拒否した。われわれは香港移民当局とビザ問題でいつも苦労している。毎年窮屈になる。今年はネパールやカンボジア出身の学生にビザを出さなかった。北朝鮮もそうしたリストに入っているかもしれない」
――ボスニアに行くことになった過程は。
「ビザ発給が拒否された後、私は他のUWC校長らに連絡した。いくつかの大学が肯定的で、そのうちの1校はすぐに『イエス』を伝えてきた。ハンソルは当初OKしたが、間もなくだめだと知らせてきた。祖父が『安全のためだめだ』と話したという感じをハンソルの電子メールから受けた。香港は中国なので大丈夫だが他の所はだめだ。欧州から選ぶようにと言ったようだ。ハンソルを受け入れるといったところには米国の大学もあった。そこで肯定的だった欧州の3大学のうち最も積極的で両親も大丈夫だといったボスニアに行くことになった。欧州を選ぶ理由についてハンソルは、『父(金正男)が来年にマカオを離れ欧州で仕事をするため』と私に話した」
――希望は何か。
「南北に平和を持たらし和解させることだといった」
――ハンソルに対する印象は。
「英語が上手だった。中国語も話すといった。カリスマがあり自信があった。傲慢でなかった。外向的だったし正常な16歳だった。趣味は写真を撮ることといった」
ボスニア、ハンソルに就学ビザ…ボスニア当局が金総書記の孫のハンソルに就学ビザを発給することにしたと読売新聞が8日、ボスニア・ヘルツェゴビナの現地メディアを引用して報道した。
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