先月13日に日本の海上で発見され、4日にソウルに到着した脱北者9人のうち、40代の男性1人が日本側の調査で、「祖父は越北した白南雲(ベク・ナムウン)元最高人民会議(国会)議長」と述べたことが確認された。この男性はまた、父が韓国要人の拉致を担当した労働党幹部と主張したという。白南雲は1947年に越北した経済史学者で、韓国の学者・教員ら数十人を越北させ、金日成(キム・イルソン)大学の設立に貢献した。この脱北者の陳述が事実である場合、北朝鮮の対南拉致工作の一部が明らかになる可能性があり、関係当局の調査が注目される。
匿名を求めた日本政府の関係者はこの日、「脱北者1人が白南雲の孫とはっきりと述べた」とし「孫であることを証明する客観的な証拠は出していないが、自分が生まれ育った過程と祖父、父について比較的詳しく説明した」と話した。また「脱北者が韓国に行っただけに、韓国政府が(陳述内容について)確認するものと信じている」と明らかにした。
日本のフジテレビは「北朝鮮人民軍所属のこの男性が(日本側の調査で)自分の父が労働党の対南工作指導員として韓国人拉致工作に携わったと証言した」とし「父の場合、韓国人を100人ほど拉致し、スパイ教育をさせた後、また韓国に送ったと述べた」と伝えた。この男の陳述が事実の場合、祖父と父が対南越北・拉致工作をし、3代が脱北するという珍しいケースとなる。
これに関し政府当局者は「本人が具体的な根拠を出していないため、詳しいことは追加で調査をしてみなければ分からない」とし「しかし北朝鮮住民の中で白南雲を知る人は多くない」と述べた。政府は特にこの男性の「父が労働党の対南工作指導員」という言葉に注目している。
この男性を含む脱北者9人は4日正午ごろ、仁川(インチョン)国際空港に到着した。成人の男性と女性、子ども各3人ずつの脱北者9人はこの日午前10時30分ごろ日本の福岡空港を出発し、到着後すぐに京畿道始興(キョンギド・シフン)の中央合同尋問センターに移され、国家情報院などで構成された政府合同尋問組の調査を受けている。
白南雲(ベク・ナムウン、1897-1979)=1947年に越北した著名な経済史学者。日本留学時代に親しくしていた金洸鎮(キム・グァンジン、元北朝鮮社会科学院経済研究所長)に数十人の韓国学者を紹介しながら越北させ、金日成大学の創立に貢献した。48年の北朝鮮政権樹立当時、教育相を務め、科学院院長・最高人民会議議長・祖国戦線議長を務めた。「金日成同志の英雄的偉業」を執筆し、金日成勲章を受けている。
匿名を求めた日本政府の関係者はこの日、「脱北者1人が白南雲の孫とはっきりと述べた」とし「孫であることを証明する客観的な証拠は出していないが、自分が生まれ育った過程と祖父、父について比較的詳しく説明した」と話した。また「脱北者が韓国に行っただけに、韓国政府が(陳述内容について)確認するものと信じている」と明らかにした。
日本のフジテレビは「北朝鮮人民軍所属のこの男性が(日本側の調査で)自分の父が労働党の対南工作指導員として韓国人拉致工作に携わったと証言した」とし「父の場合、韓国人を100人ほど拉致し、スパイ教育をさせた後、また韓国に送ったと述べた」と伝えた。この男の陳述が事実の場合、祖父と父が対南越北・拉致工作をし、3代が脱北するという珍しいケースとなる。
これに関し政府当局者は「本人が具体的な根拠を出していないため、詳しいことは追加で調査をしてみなければ分からない」とし「しかし北朝鮮住民の中で白南雲を知る人は多くない」と述べた。政府は特にこの男性の「父が労働党の対南工作指導員」という言葉に注目している。
この男性を含む脱北者9人は4日正午ごろ、仁川(インチョン)国際空港に到着した。成人の男性と女性、子ども各3人ずつの脱北者9人はこの日午前10時30分ごろ日本の福岡空港を出発し、到着後すぐに京畿道始興(キョンギド・シフン)の中央合同尋問センターに移され、国家情報院などで構成された政府合同尋問組の調査を受けている。
白南雲(ベク・ナムウン、1897-1979)=1947年に越北した著名な経済史学者。日本留学時代に親しくしていた金洸鎮(キム・グァンジン、元北朝鮮社会科学院経済研究所長)に数十人の韓国学者を紹介しながら越北させ、金日成大学の創立に貢献した。48年の北朝鮮政権樹立当時、教育相を務め、科学院院長・最高人民会議議長・祖国戦線議長を務めた。「金日成同志の英雄的偉業」を執筆し、金日成勲章を受けている。
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