成功した父を持つ息子が常に幸せであるとは限らない。06年にアニメ「ゲド戦記」でデビューした宮崎吾朗監督もそうだ。彼の父は宮崎駿氏(70)。日本アニメの産室スタジオジブリの創立者であり、「千と千尋の神隠し」(2002)でベルリン映画祭の金熊賞を受賞した世界的な巨匠だ。
「ゲド戦記」は日本で観客600万人を超えた。しかし演出者に対する評価は厳しかった。「お父さんにはるかに及ばない」。息子は5年ぶりにまた挑戦状を投じた。1960年代を背景にした少年少女のラブストーリー「コクリコ坂から」(29日公開)だ。
宮崎吾朗氏は中央日報とのメールインタビューで、まず父の話をした。
「思春期は父と比較されることを本当に嫌った。何をしても‘宮崎駿の息子’という声を聞いた。大学もわざと地方に行った。そこではみんな知らないと思っていた。ところが合格者発表の日、受付の窓口で『お父さんが宮崎駿さんと聞きましたが』と言われた。今は運命だと思っている」
吾朗氏は公園を造成・開発する建設コンサルタントだった。スタジオジブリと縁を結んだのは98年、東京・三鷹にあるジブリ美術館の総合デザインを引き受けながらだ。01年から4年間、館長を務めた彼は、父の長い間のパートナーであるプロデューサー鈴木敏夫氏の勧誘で「ゲド戦記」を制作することになった。
「評価が良くなくて、『もう人々の目に触れることはやめよう』と決心した。父から『借りぐらしのアリエッティ』(2010)を一緒にしようと言われたが、実際、意欲がわかなかった」
宮崎吾朗監督「存在感大きい父・宮崎駿が蒎の作品に涙」(2)
「ゲド戦記」は日本で観客600万人を超えた。しかし演出者に対する評価は厳しかった。「お父さんにはるかに及ばない」。息子は5年ぶりにまた挑戦状を投じた。1960年代を背景にした少年少女のラブストーリー「コクリコ坂から」(29日公開)だ。
宮崎吾朗氏は中央日報とのメールインタビューで、まず父の話をした。
「思春期は父と比較されることを本当に嫌った。何をしても‘宮崎駿の息子’という声を聞いた。大学もわざと地方に行った。そこではみんな知らないと思っていた。ところが合格者発表の日、受付の窓口で『お父さんが宮崎駿さんと聞きましたが』と言われた。今は運命だと思っている」
吾朗氏は公園を造成・開発する建設コンサルタントだった。スタジオジブリと縁を結んだのは98年、東京・三鷹にあるジブリ美術館の総合デザインを引き受けながらだ。01年から4年間、館長を務めた彼は、父の長い間のパートナーであるプロデューサー鈴木敏夫氏の勧誘で「ゲド戦記」を制作することになった。
「評価が良くなくて、『もう人々の目に触れることはやめよう』と決心した。父から『借りぐらしのアリエッティ』(2010)を一緒にしようと言われたが、実際、意欲がわかなかった」
宮崎吾朗監督「存在感大きい父・宮崎駿が蒎の作品に涙」(2)
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