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<創刊企画>日本IT界の神話、孫正義「志高く」(5)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
#祖母の手を握って母国に

米国行きが決まった後、私は祖母と向き合って座った。

「祖母さん、世話をかけながらも恩知らずな態度を見せた自分を許してください。 そして私を韓国に連れて行ってください。 米国に行く前に、私がひどく嫌った先祖の国、故郷の地を踏んでみたい」。


祖母は信じられないという表情で何度も問い返してきた。 どうしてそう考えるようになったのかと言いながら大喜びした。 祖母の手を握って韓国に行った。 2週間ほどの短い旅行だった。 祖父母の故郷は電気も通っていない大邱(テグ)の田舎の村だった。 出せるものといえばリンゴしかない村。 それも土地が痩せているのか、小さなリンゴだった。 夜になるとろうそくの火がついた親戚の家で食事をした。 素朴だが、心のこもった料理だった。 祖母は日本から持ってきた古着を出した。汚れたズボンやセーターだが、 村の人たちは本当に喜んだ。 その姿を見る祖母の顔にもうれしそうな笑みが浮かんだ。 昔から祖母はよくこう言っていた。

「私たちがこの程度の生活ができるのもみんな周囲の人たちのおかげ。 どんなに大変な時でも、助けてくれる人が必ずいたからだ。 だから決して人を恨んではいけない。 すべてはみんなのおかげだから」

そのような言葉、また生涯初めて訪れた母国で祖母が見せた笑顔や行動は、私に大きなインスピレーションを与えてくれた。 何か大きなこと、人々の幸せに役立てることをしたいという夢が確固たるものになった。 私が誰なのか、助けを受ける相手が知らなくてもかまわない。 ただ、誰かが、心の奥深いところから出る感謝を感じ、幸せであるのなら。 当時の悟りは、私が数年後「情報革命で人々を幸せに」というソフトバンクの創立理念を打ち出す決定的な契機になった。

#「日本にいるという理由で姓を変える必要があるのか」

少し違う話になるが、韓国の人たちは私に会うとよく「母国のことをよく考えるか」と尋ねる。 1999年に韓国で初めて記者懇談会を開いた時も、ある記者が似た質問をした。 「心の故郷はどこか」ということだった。 私は短く答えた。

「私の心の故郷はインターネットです」

相手はやや驚いた表情だった。 日本に帰化したが、私が「孫」という韓国の姓を守るために少なからず困難を経験したことを知っているようだった。 当然、「韓国」とか「母国」という返答があると思ったのだろう。 しかし私が「孫」にこだわったのは韓国人のアイデンティティーを維持するためではなかった。 それは自分の「自尊の問題」だったのだ。 20年以上も「孫正義」という名前で生きてきた。 それなのに、ただ自分の体が属する国が日本という理由だけでなぜそれを変えなければいけないのか。

私はどこで生まれ、教育を受け、暮らし、死ぬかは重要だと考えていない。 韓国は祖父の故郷、私の存在の根。 しかしそれ以上のものはない。 こういう考えは多様性の国、米国での生活を通してよりいっそう強まった。

◇孫正義の父の教育熱=孫正義会長の父の孫三憲氏は教育熱心だった。 孫会長が中学校に入学すると、大都市の福岡に引っ越ししたのも教育のためだった。 孫会長はそこで名門高校への進学率が高い城南中学校に通った。 続いて地域の名門、久留米大学附設高校に合格し、家族を喜ばせた。



<創刊企画>日本IT界の神話、孫正義「志高く」(4)

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