米国留学前の少年・孫正義。
夢が多い少年だった私は、そのほかにも画家、詩人、政治家、事業家になってみたかった。 今でも時々、会議中にホワイトボードにトムとジェリー、スヌーピーなどの漫画キャラクターを描いたりする。 他の人たちはなかなかのものだと言う。 政治家になりたいというのは、差別を受けた在日同胞3世なら誰でも一度くらいは考えたことがあるだろう。 詩人という職業も頭にあった。
その中でも最も現実的な夢はやはり事業家になることだった。 それなりに資質も見せた。 12歳の時のことだ。 その頃、私の家族はかなり落ち着いていた。 親が苦労を惜しまず働いたおかげだった。 父はいろいろな商売に手をつけたが、ある日突然、小さな喫茶店をオープンした。 しかし幼い私の目にも勝算がないように見えた。 駅から遠いうえ、繁華街でもなかった。 コーヒー原料業者までも供給を避けた。 商売を始めることさえできなくなったのだ。 私が知恵を出した。 父に「無料クーポンを駅前で配ろう」と言った。 父は当然、「とんでもないことを言うな」と言った。 しかし私の意志も強かった。 結局、1000枚を刷って配った。 コーヒー供給業者を招待した日、そのおかげで喫茶店は大賑わいだった。 驚いた業者はとても安く、良い決裁条件でコーヒーを供給し始めた。 初期の費用は高くなったが、すぐに投資金をすべて回収した。 店はしだいに繁盛し、数年後にはかなりの高値で売却した。
しかし良い日は長く続かなかった。 父が血を吐いて倒れたのだ。 家族の危機だった。 1歳上の兄は長男の責任を果たそうと高校を中退した。 母と一緒に家族の生計の責任を負い、父の病院費を払った。 家庭の衰落を目にして私も必死になった。 いかなる方法でもここから抜け出そうと心に決めた。 まさにその時に坂本龍馬に出会った。
#坂本龍馬に胸を熱くして
一度決めたら実践しなければならない。 一度だけの人生、なにか大きなことをしよう。 日本一の事業家になろう。 私は強く決心した。 家族の問題を中長期的に解決できる道を探さなければいけない。 同時に大きい志を実現する基盤を固めなければいけない。 そう思いながら米国に留学することに決めた。 これは言わば、龍馬の「脱藩」のような行動だった。 昨年、日本で驚異的な視聴率を記録したNHKドラマ「龍馬伝」にもこれを描写した場面が出てくる。 龍馬は脱藩を悩む。 しかし家族に被害が及ばないか恐れて実行できない。 この時、龍馬の姉がこう言った。
「龍馬、行ってこい。おまえは土佐に納まりきれる男じゃない、もっとなにやらでっかいことをやる、そのためなら自分のことはかまわん。行って来い!」
その場面を見て涙が出てきた。 涙があふれてどうしようもなかった。 私がそれほど泣いたのは、そのストーリーに自分の過去が重なって思い浮かんだからだ。
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