柳佑益(リュ・ウイク)前駐中国大使が統一部長官候補者として戻ってきた。李明博大統領が2009年12月26日に柳大使に信任状を渡し握手する姿。
だが、政権発足初期に起きた米国産牛肉輸入をめぐる波紋のため就任3カ月で青瓦台(チョンワデ、大統領府)参謀陣に対する全面交替が断行され、この時に柳氏も青瓦台を離れなければならなかった。そんな柳氏は外側から李大統領を助けた。2008年7月に米国地名委員会が独島(トクト、日本名・竹島)を「主権未指定地域」と表記することで李大統領が窮地に立たされると柳氏は世界地理学会(IGU)事務総長という経歴を活用し表記が原状に戻されるよう民間外交を広げた。2009年7月に李大統領が個人財産300億ウォン余りの社会還元方法について悩むと奨学財団登録理事として参加し現在の清渓(チョンゲ)財団誕生も手助けした。このような柳氏を李大統領は2009年12月に駐中国大使として重用した。
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