統一部長官に指名された柳佑益(リュ・ウイク)氏は李明博(イ・ミョンバク)大統領の個人シンクタンクだった国際政策研究院(GSI)の出身だ。李大統領がソウル市長時代に作ったこの研究院は、2007年のハンナラ党大統領候補選挙戦と大統領選挙本戦で韓半島大運河・国際科学ビジネスベルトなどの主要公約を生み出した政策の産室だ。柳氏はGSI院長を務めた。李大統領の陣営では「李明博執権哲学のイデオローグ(理論家)」と呼ばれた。
柳氏と李大統領の縁は1990年代中盤にさかのぼる。当時から韓半島大運河を構想中だった議員2期目だった李氏がソウル大の地理学者だった柳氏を訪れ助言を求めたのが最初の出会いだったという。李氏がソウル市長に就任すると柳氏は市政開発研究院諮問委員を務め市政を補佐し、2006年6月に李氏がソウル市長の任期を終えると陣営に参加した。2008年2月に李大統領が就任すると初代大統領室長(旧青瓦台秘書室長)に起用された。
だが、政権発足初期に起きた米国産牛肉輸入をめぐる波紋のため就任3カ月で青瓦台(チョンワデ、大統領府)参謀陣に対する全面交替が断行され、この時に柳氏も青瓦台を離れなければならなかった。そんな柳氏は外側から李大統領を助けた。2008年7月に米国地名委員会が独島(トクト、日本名・竹島)を「主権未指定地域」と表記することで李大統領が窮地に立たされると柳氏は世界地理学会(IGU)事務総長という経歴を活用し表記が原状に戻されるよう民間外交を広げた。2009年7月に李大統領が個人財産300億ウォン余りの社会還元方法について悩むと奨学財団登録理事として参加し現在の清渓(チョンゲ)財団誕生も手助けした。このような柳氏を李大統領は2009年12月に駐中国大使として重用した。
柳氏は今年5月まで駐中大使を務め韓中関係を円満に調整したという評価を受けた。長期にわたり行き詰まっている南北関係を中国の力を借りて改善できる適任者として指定されてきた。ハンナラ党の洪準杓(ホン・ジュンピョ)代表ら指導部が最近李大統領に柳氏の統一部長官起用を強く建議したのもこうした理由からだ。与党関係者は30日、「北朝鮮当局が柳氏を“対話できる相手”と見ているという話を聞いた。李大統領が北朝鮮の雰囲気まで考慮して指名したとみれば良い」と話した。
柳氏と李大統領の縁は1990年代中盤にさかのぼる。当時から韓半島大運河を構想中だった議員2期目だった李氏がソウル大の地理学者だった柳氏を訪れ助言を求めたのが最初の出会いだったという。李氏がソウル市長に就任すると柳氏は市政開発研究院諮問委員を務め市政を補佐し、2006年6月に李氏がソウル市長の任期を終えると陣営に参加した。2008年2月に李大統領が就任すると初代大統領室長(旧青瓦台秘書室長)に起用された。
だが、政権発足初期に起きた米国産牛肉輸入をめぐる波紋のため就任3カ月で青瓦台(チョンワデ、大統領府)参謀陣に対する全面交替が断行され、この時に柳氏も青瓦台を離れなければならなかった。そんな柳氏は外側から李大統領を助けた。2008年7月に米国地名委員会が独島(トクト、日本名・竹島)を「主権未指定地域」と表記することで李大統領が窮地に立たされると柳氏は世界地理学会(IGU)事務総長という経歴を活用し表記が原状に戻されるよう民間外交を広げた。2009年7月に李大統領が個人財産300億ウォン余りの社会還元方法について悩むと奨学財団登録理事として参加し現在の清渓(チョンゲ)財団誕生も手助けした。このような柳氏を李大統領は2009年12月に駐中国大使として重用した。
柳氏は今年5月まで駐中大使を務め韓中関係を円満に調整したという評価を受けた。長期にわたり行き詰まっている南北関係を中国の力を借りて改善できる適任者として指定されてきた。ハンナラ党の洪準杓(ホン・ジュンピョ)代表ら指導部が最近李大統領に柳氏の統一部長官起用を強く建議したのもこうした理由からだ。与党関係者は30日、「北朝鮮当局が柳氏を“対話できる相手”と見ているという話を聞いた。李大統領が北朝鮮の雰囲気まで考慮して指名したとみれば良い」と話した。
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