取材陣が調べた1907年7月21日付の「大阪平民新聞」は、当時の日本政府を騒然とさせた。「朝鮮人民の自由・独立・自治の権利を日本政府が保障しろ」という内容の寄稿が掲載されたのだ。寄稿したのは朝鮮人ではなく日本人の幸徳秋水だった。
幸徳秋水は3年後、天皇殺害未収容疑で逮捕される。逮捕当時に持っていた安重根(アン・ジュングン)義士の写真が入ったハガキには、幸徳秋水が自ら作った4行の詩が書かれていた。「舎生取義 殺身成仁 安君一挙 天地皆震(生をすてて義をとり 身をころして仁をなす 安君の一挙 天地みなふるう)」と安重根義士を称賛する詩だった。
幸徳秋水は3年後、天皇殺害未収容疑で逮捕される。逮捕当時に持っていた安重根(アン・ジュングン)義士の写真が入ったハガキには、幸徳秋水が自ら作った4行の詩が書かれていた。「舎生取義 殺身成仁 安君一挙 天地皆震(生をすてて義をとり 身をころして仁をなす 安君の一挙 天地みなふるう)」と安重根義士を称賛する詩だった。
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