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【噴水台】鬱陵島番人

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
「錦繍の如くうねり連なる長白山の頂ひと粒飛び跳ね、切なげな国土の末子なる君の寂しき姿となったのか…」(柳致環の詩・鬱陵島)。

切なげなの末子という比喩のように鬱陵島は数多くの哀歓が漂う島だ。 「于山国」と呼ばれながら三国時代まで独立を維持したが、512年に新羅(シルラ)の将帥・異斯夫がここを侵攻して運命が変わった。 異斯夫は木で作った獅子を船に積んで攻め込み、話を受け入れなければこれを放つと脅し、島人たちを屈服させた。 陸と島の間の朝貢関係は高麗初めまで続いた。

しかし11世紀初めに女真族が鬱陵島を略奪し始め、状況は急変した。 島の住民が本土に逃げた後、鬱陵島全体が高麗の直轄領土に変わったのだ。 鬱陵島の試練はこれで終わったわけではない。 朝鮮初めには対馬人がこの地を狙い、倭寇の侵犯も深刻だった。 結局、太宗は島の住民全員を本土に移住させ、鬱陵島全体を空けておく「空島政策」を断行した。 虎視眈々と鬱陵島を狙った日本人がこのノーマークのチャンスを逃すはずがなかった。 勢いづいた日本の漁夫は堂々と鬱陵島で漁をした。 朝鮮の漁夫も暖流と寒流がぶつかる天恵の東海(トンヘ、日本名・日本海)漁場をただ眺めているはずはなかった。 鬱陵島一帯では両国の漁夫の間の衝突が絶えなかった。


こうした混乱を断ち切って鬱陵島に対する朝鮮の所有権を確立した人がいた。 死後に将軍にまで推戴された安龍福(アン・ヨンボク)という漁夫だ。 日本との往来が多かった東莱(トンレ)で育ったおかげで日本語がうまかった安龍福は1693年、鬱陵島で操業中だった日本の漁夫に捕まり、島根県隠岐島に連れて行かれた。 囚われの身だったが、安龍福は終始堂々としていた。 安龍福は整然とした論理で日本幕府と談判し、鬱陵島が朝鮮の地であることを認めさせた後、これに対する証明書まで受け取った。 独島(ドクト、日本名・竹島)とは違い、鬱陵島の領有権に対しては日本側が挑発してこないのも、安龍福という人物がいたおかげということだ。 柳致環(ユ・チファン)の「鬱陵島」詩碑と安龍福忠魂碑はこの島の薬水公園に並んでいる。

日本自民党議員が独島領有権問題を穿り返そうと1日、鬱陵島訪問するという。 政府側はこの議員らを空港で送り返すことにしたようだ。 独島事態がどう進むのかは知らないが、過去に漁夫の忠節が鬱陵島を守ったように国民個々人の努力が独島守護のもとになるという点ははっきりと見える。

南楨鎬(ナム・ジョンホ)jTBC特任委員



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