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【時視各角】2%不足した韓国大企業(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
1990年代半ば、東京特派員時代のことだ。 トヨタ自動車の堤工場を取材し、彼に初めて会った。 彼は工場を回るマイクロバスに乗りながらあれこれと熱心に説明していた。 当時、彼の職責は広報部次長。 その日の晩、隣に座った別の広報チーム員が耳元でこう話した。 「あの人が豊田家門の4世の章男です」。現在のトヨタ自動車社長の豊田章男だ。 彼は慶応大学を卒業後、他の人たちと一緒に採用試験を受けて入社した。 末端社員から入社同期と同じように昇進した。 隣の広報チーム員は淡々と話した。 「今のこの職が最初の特恵かもしれません。 1、2年すれば全職員と一度ずつ顔を合わせることになりますので。 すべての社員はトヨタ精神の産室である堤工場を必ず巡礼します…」。

奥田碩社長は99年、章男部長を取締役に抜てきしながら公開的に警告した。 「豊田家だから取締役までは機会を与える。 その次からは実力と能力だ。 血は時間が経てば薄れる」。予想に反して章男は2年ごとに常務-専務-副社長と高速昇進した。 国内営業と海外生産・販売を担当しながら経営授業を終えた。 むしろ彼の真面目は84年の入社後16年間の平凡なサラリーマン生活にあるのではないだろうか。 読売新聞によると、彼は祖父の忌日を迎える度に「私はまだグループのために何もできていない。頭を下げるぐらいしか… 」と言いながら遺影の前に長く座っていたという。

ホンダの創業主の本田宗一郎は息子に過酷なほど冷たかった。 いっそのこと会社には近づけなくした。 技術が優れた長男の博俊は30歳の年齢で自動車チューニング会社「無限」を自分の力で作った。 しかし人の良い彼が財務チームをあまりにも信じ過ぎたのが災いとなった。 脱税容疑で逮捕される悲劇が訪れた。 その頃、死後10年を迎えた宗一郎の銅像の除幕式で、夫人は「このような人の銅像を立てるのか」と語った。 息子1人を守ってくれない夫に対する思いが込められていた。 長男の博俊が昼食の弁当を持って検察庁に向かって力なく歩いていく後ろ姿を見ながら、多くの日本人が目に涙を浮かべた。

【時視各角】2%不足した韓国大企業(2)

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