●金日(キム・イル、日本名、大木金太郎)選手とはいい仲間でありライバルだったそうだが。
「初めて日本へ来た時、東京の人形町というところに道場があった。その建物の中に映画館もあったが、ある男が近付いてきて握手を求め、一緒に映画館に行こうと話しかけてきた。それが金日だった。彼は『私は韓国人、お前はブラジル人。仲良くしよう』と言った。在日韓国人に対する偏見や差別がひどかった時代で、金日も辛いことが多かったはずだ。われわれはすぐ親しくなった」
●デビュー戦はいつか。
「60年9月30日。東京台東区の体育館で金日と一戦を交えた。彼の逆腕固めに7分5秒で敗れた(笑)」
●金一選手のヘッドバット(頭突き)の威力はどうだったか。
「痛いに決まってる…。痛いというよりは、その瞬間は何も考えられない。それほどの衝撃だ」
●あなたを世界的なプロレスラーにした試合は、76年のモハメド・アリとの対決だった。
「当時、世界最高の拳だったアリが、ある記者会見で『出てきて対決する東洋人はいないか』と発言した。75年6月、マレーシアで開かれたタイトルマッチのために日本に一時立ち寄ったアリに挑戦状を出した」
当時のファイトマネーは18億円に達した。
●アリのパンチはどうだったか。
「殴られた時は分からなかったが、試合が終わって見てみると、少しでも彼のグローブが当たったところにはこぶができていた。当時、アリがグローブの中に何かを入れていたという話もあったが、本当に少し触れるだけでこぶができるほどの威力だった」
猪木はアリとの一戦のために、2カ月間、試合を中断して長期戦のための体作りに入った。試合当日、猪木はリングに寝転ぶような姿勢で、15ラウンド中ずっとキックで攻撃した。アリは試合のあと、血栓手術を受けて1カ月入院し、右足キックを飛ばした猪木は剥離(はくり)骨折を負った。
●現役選手の中で対決してみたい人はいるか。息子をプロレスに入門させる計画は。
「私はこれ以上争いたくない。息子は全然そのようなタイプではない」
●70~80年代のプロレスの人気はすごかった。プロレスが衰退している理由は何か。
「私が現役時代には7万5000人の観衆が東京ドームをいっぱいに埋めるほど人気だった。今のプロレスと比べると、以前はファンに伝える確かなメッセージがあった。力道山は戦後の日本を建て直そうというメッセージだったし、私は人々に闘魂を注入して若者に人生の方向を示そうと考えた。ところが最近の後輩を見ると、キャラクター性は勿論のこと、自分だけのメッセージを見つけられていないようだ」
●日本のプロレスに比べると、欧米の格闘技市場は興行に成功しているようだ。
「米国は国民性や社会が日本と違う。ステロイドを使って筋肉を鍛え、格好のいい体を見せる一種のショーが望まれている。しかし、日本のファンは単純な勝ち負けではなく、サムライ魂を求める。力道山時代の“強靭な精神”のようなものだ」
●「プロレスは仕組まれた競技」と言う人々もいる。脚本が書かれた試合はあるか。
「猪木のプロレスは本物だ。すべての試合に命をかけて臨んだ。パキスタンでのアウェーゲーム中には、相手選手の目玉が飛び出したこともあったし、ソウルではパク・ソンナム選手が試合後に命を失った。人だから当然申し訳なく思う。しかし試合に臨む選手はプロだ。受け入れなければならない現実だ」
韓国人にも伝説であるアントニオ猪木、日本「元気ですか!」(3)
「初めて日本へ来た時、東京の人形町というところに道場があった。その建物の中に映画館もあったが、ある男が近付いてきて握手を求め、一緒に映画館に行こうと話しかけてきた。それが金日だった。彼は『私は韓国人、お前はブラジル人。仲良くしよう』と言った。在日韓国人に対する偏見や差別がひどかった時代で、金日も辛いことが多かったはずだ。われわれはすぐ親しくなった」
●デビュー戦はいつか。
「60年9月30日。東京台東区の体育館で金日と一戦を交えた。彼の逆腕固めに7分5秒で敗れた(笑)」
●金一選手のヘッドバット(頭突き)の威力はどうだったか。
「痛いに決まってる…。痛いというよりは、その瞬間は何も考えられない。それほどの衝撃だ」
●あなたを世界的なプロレスラーにした試合は、76年のモハメド・アリとの対決だった。
「当時、世界最高の拳だったアリが、ある記者会見で『出てきて対決する東洋人はいないか』と発言した。75年6月、マレーシアで開かれたタイトルマッチのために日本に一時立ち寄ったアリに挑戦状を出した」
当時のファイトマネーは18億円に達した。
●アリのパンチはどうだったか。
「殴られた時は分からなかったが、試合が終わって見てみると、少しでも彼のグローブが当たったところにはこぶができていた。当時、アリがグローブの中に何かを入れていたという話もあったが、本当に少し触れるだけでこぶができるほどの威力だった」
猪木はアリとの一戦のために、2カ月間、試合を中断して長期戦のための体作りに入った。試合当日、猪木はリングに寝転ぶような姿勢で、15ラウンド中ずっとキックで攻撃した。アリは試合のあと、血栓手術を受けて1カ月入院し、右足キックを飛ばした猪木は剥離(はくり)骨折を負った。
●現役選手の中で対決してみたい人はいるか。息子をプロレスに入門させる計画は。
「私はこれ以上争いたくない。息子は全然そのようなタイプではない」
●70~80年代のプロレスの人気はすごかった。プロレスが衰退している理由は何か。
「私が現役時代には7万5000人の観衆が東京ドームをいっぱいに埋めるほど人気だった。今のプロレスと比べると、以前はファンに伝える確かなメッセージがあった。力道山は戦後の日本を建て直そうというメッセージだったし、私は人々に闘魂を注入して若者に人生の方向を示そうと考えた。ところが最近の後輩を見ると、キャラクター性は勿論のこと、自分だけのメッセージを見つけられていないようだ」
●日本のプロレスに比べると、欧米の格闘技市場は興行に成功しているようだ。
「米国は国民性や社会が日本と違う。ステロイドを使って筋肉を鍛え、格好のいい体を見せる一種のショーが望まれている。しかし、日本のファンは単純な勝ち負けではなく、サムライ魂を求める。力道山時代の“強靭な精神”のようなものだ」
●「プロレスは仕組まれた競技」と言う人々もいる。脚本が書かれた試合はあるか。
「猪木のプロレスは本物だ。すべての試合に命をかけて臨んだ。パキスタンでのアウェーゲーム中には、相手選手の目玉が飛び出したこともあったし、ソウルではパク・ソンナム選手が試合後に命を失った。人だから当然申し訳なく思う。しかし試合に臨む選手はプロだ。受け入れなければならない現実だ」
韓国人にも伝説であるアントニオ猪木、日本「元気ですか!」(3)
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