年間売上高400兆ウォンのトヨタグループを率いる豊田社長は、トヨタを創業した豊田喜一郎氏の孫だ。随行したのは秘書と広報担当、アジア販売部長の3人だけだった。ディーラーが豊田社長に「新車の商品性不足とドイツ車の価格攻勢」を指摘すると、豊田社長は「これまで韓国市場に対してうぬぼれがあった。謙虚に受け入れる」と答えた。続いて「トヨタはディーラーと同伴成長する。30年先を見て事業をしよう。ディーラーとの信頼関係はトヨタの歴史であり根元」とし、創業精神を強調した。
1927年にト豊田自動織機製作所の自動車事業部(当時ベンチャー企業)で始まったトヨタは、1940年代まで赤字が続いた。当時、豊田喜一郎社長は「会社はつぶれてもディーラーと部品会社までが一緒につぶれてはならない。3カ月手形決済代金は必ず準備しておかなければいけない」と話していた。最初からディーラー・部品会社と信頼を築いていった。
1927年にト豊田自動織機製作所の自動車事業部(当時ベンチャー企業)で始まったトヨタは、1940年代まで赤字が続いた。当時、豊田喜一郎社長は「会社はつぶれてもディーラーと部品会社までが一緒につぶれてはならない。3カ月手形決済代金は必ず準備しておかなければいけない」と話していた。最初からディーラー・部品会社と信頼を築いていった。
この記事を読んで…