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【噴水台】海賊裁判

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
海賊行為の歴史は長い。 人間が船を作って航海に出た時から海賊行為が始まったと見ればよい。 実際、歴史の記録に海賊が登場するのは紀元前14世紀に遡る。 今のトルコの小アジアの海岸を拠点とするルカ(Lukka)という海上強盗が活動を始めたのがその頃という。 海賊の退治の歴史も長い。 紀元前7世紀にアッシリアの王らが遠征隊を派遣し、インド・中国などとの海上貿易を妨害する海賊を掃討した。 ローマの将軍ポンペイウスが紀元前67年、地中海の海賊を潰滅させたという記録も伝わる。

海賊に対して法と裁判に基づいた厳酷な司法処罰が本格的に施行された時期は「海賊の黄金時代」と呼ばれる17世紀末-18世紀初めだ。 英国など欧州国家と米国・カリブ海植民地で海賊の犯罪を扱う海事法や海事裁判所が作られ、迅速な裁判が行われた。 海賊に対する宣告はほとんど死刑だった。 以前は海賊の船長と主謀者に限られるのが普通だったが、海賊の黄金時代には船員全員を処刑することが多かった。 1722年に西アフリカで海賊54人が集団裁判を受け、一斉に処刑されたのがその代表例だ。 (アンカース・コンスタム著『海賊の歴史』)

処刑された遺体を警告手段として残酷に扱ったりもしたようだ。 遺体にタールを塗って鉄格子の中に入れ、人々の目につくところに長い間つるしておいたという。 海賊になればこうなるという脅しだ。 海賊志望者は減ったはずだ。 そんな死に方をするなら最後まで戦って死ぬほうがよいという逆作用もあるだろうが。


とはいえ海賊を過酷に扱ったケースばかりではない。 1722年、フランスの国王は自首した海賊を赦免し、新しい生活を送らせた。 海賊に拉致された船員が強要でやむを得ず海賊の道に入った場合、裁判で寛容を見せたりもした。

三湖(サムホ)ジュエリー号を襲って韓国軍に捕まったソマリア海賊に対する裁判が来週、釜山地方法院で行われるという。 国内司法史上、前例がない海賊裁判であるだけに、法の審判がどう下されるのか非常に気になる。 とにかく国際社会の悩みの種である海賊の略奪行為に警鐘を鳴らす前例になればと思う。 インド洋で捕まった海賊の90%が処罰を受けずに釈放される現実に国連の心配は大きい。 公正な裁判で海賊を厳罰することも現代版「海賊の黄金時代」の到来を防ぐ方法の一つであるはずだ。



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