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5・16クーデター50周年:金鍾泌氏インタビュー(4)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

金鍾泌元総理とチョン・ヨンギ中央日報編集局長が南山公園のベンチに座って話している。

--革命公約と主旨文は金鍾泌元総理が作成したのか。

「そうだ」

--その中に4・19革命の精神を継承するという言葉が入っているが。


「腐敗し、無能な政権は国を滅ぼす。こういう政権は覆さなければいけない。そうして起きたのが4・19ではないのか。多くの市民が歓呼した。5・16もこうした腐敗・無能政権を倒してしまう精神が起こしたのだ」。

--反共を国是とするというのはなぜ含めたのか。

「われわれが確立する姿勢を明確にしたのだ。それ以前は反共も容共もなく、何が何だか分からなかった。学生が肩を組んで板門店(パンムンジョム)に行き、北側と交渉しよう、何々をしようと叫び、国会に入ると『お前たちが何の国会議員だ』とこういう感じだ。国会も開けなかった…そういうことで国とはいえない」

読者が知りたがっているもう一つの疑問点を尋ねた。

--5・16が成功した後、軍事革命委員会の議長をなぜ朴正煕少将ではなく張都暎(チャン・ドヨン)参謀総長が引き受けることにしたのか。

「朴正煕大統領がそうしろと言った。私は反対したが。『張都暎将軍に何の関係があって革命委員会議長を引き受けるのか』と話すと、朴少将はしばらく目を閉じて、『あなたも分かるでしょう。陸軍参謀総長ではないか』と答えた。その一言に深い恨が込められているのが分かった。朴大統領はあたかも『私を共産主義者にするやつらがいるから、私が指導者になれば革命がだめになるかもしれない。現役参謀総長なら国民が信じるのではないか』…そういうことは言わなかったが、そう理解した。お茶を一杯飲んで『分かりました』と答えた」

--張都暎総長が後に問題になればどうするつもりだったのか。

「それで私が7月2日に除去した。朴大統領には話もせず…大変なことをした」

金元総理は1995年、金泳三(キム・ヨンサム)政府が全斗煥(チョン・ドゥファン)・盧泰愚(ノ・テウ)新軍部勢力の‘成功したクーデター’を処罰する法を作る時に賛成した。その時、記者が「本人はクーデターをしながら、なぜ他人のクーデターを処罰しようとするか」と尋ねると、金元総理は笑いながら「私がしてみたから悪いことを知っている」と妙な返事をしたことがある。

--また革命しろと言われればするか。

「もうできない」

--革命は30歳代(当時は35歳)にすることか。

「30歳代であれ、20歳代であれ、50歳代であれ、何も知らずにしたものだ。いま考えれば恐ろしい。5月15日のことがうまくいかなければそのまま銃殺されたはずだ」

--総理には風雲児という言葉が付いているが。

「風雲児とは…。風雲は風と雲という意味だが。日本では『千の風になって』という歌が流行したが、こういう一節がある。私のお墓の前で泣かないでください/そこに私はいません眠ってなんかいません/千の風になってあの大きな空を吹きわたっています…。人生であれ革命であれ頑張って生きて、人にすべて渡して空になって行ってしまうのだ」



5・16クーデター50周年:金鍾泌氏インタビュー(1)

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