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5・16クーデター50周年:金鍾泌氏インタビュー(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

当時の朴正煕陸軍少将を支援して偉業を成し遂げた金鍾泌(キム・ジョンピル)元総理(85)。

5・16軍事クーデターは韓国史の最もドラマチックな反転だ。建国の使命を成し遂げた李承晩(イ・スンマン)時代のバトンが朴正煕(パク・ジョンヒ)時代へ渡る場面だ。朴正煕(パク・ジョンヒ)の5・16勢力は産業化と自主国防を掲げて韓国社会の変革を主導した。

5・16軍事クーデター50周年を控えた12日、当時の朴正煕陸軍少将を支援して偉業を成し遂げた金鍾泌(キム・ジョンピル)元総理(85)にソウル新堂洞(シンダンドン)の自宅で会った。‘革命家の視線’はその時、その瞬間をはっきりと記憶していた。

--3700人にしかならない少数兵力でどう政権を掌握したのか。20個師団を持つ1軍が反撃作戦をすれば失敗しただろう。


「朴正煕大統領が殺害された時(1979年10月26日)、青瓦台(チョンワデ、大統領府)の朴升圭(パク・スンギュ)民政首席が私に泣きながら電話をして、早く来いということだった。『大変なことになった』と思って行ったが…そこで私が驚いたのは、あれほど厳重警備だった青瓦台に誰もいなかったことだ。みんなやられたのだ。3700人が少ない数字だろうか。革命は数字ではない。そう考えれば何もできない」

--最も危険な瞬間はいつだったか。

「5月16日午前1時、2時ごろか、漢江(ハンガン)の橋を渡る時だった。その直前に6管区司令部にいた朴正煕少将に対し、張都暎(チャン・ドヨン)参謀総長が『戻ってこい』と話したが、その時、朴少将の心が揺れていたらすべて終わっていたはずだ。朴大統領は張都暎総長に断固たる意志で『私たちは行動を開始しました』と答えた。第6軍団砲兵団がソウルに進撃し、海兵隊が入っていた。私は鍾路(チョンノ)で革命公約を印刷していた」

--5・16は革命か、クーデターか。

「私は激動期を経験してきたが…。5・16をクーデターとかレボリューション(革命)とか言うが(語調を強めながら)クーデターとすれば身分が上がるのか。クーデターは同じ階層にある人が変乱を起こすことであり、レボリューションは民心を基礎に下から起きて権力を変えることだ。そう考えると5・16はレボリューションだ」

--下級の将校が権力を変えたという意味か。

「違う。5・16は庶民層が支持した革命ということだ。庶民は支持していた。上層にいた人たちは反対した。一般庶民がそれとなく世の中の変革を望んでいた。そのため革命をするという噂が広まってもどうすることもなかったのだ」

--噂が広まったが、張勉(チャン・ミョン)政権が防げなかったのはミステリーだ。

「張勉総理はうわさを気にしていなかったようだ。当時こういう話が李厚洛(イ・フラク)氏(張勉国務総理室直属情報委員会室長)のような人の耳に入らなかったはずはない。すべて聞いていても、まさかという程度の認識だったのだろう。李翰林(イ・ハンリム)1軍司令官は報告を受けて革命軍を攻撃する準備をした。ところがわれわれが先に行った。民心がわれわれの味方だった。尹ボ善(ユン・ボソン)大統領も5・16の報告を受けて『来るべきものが来た』が最初の言葉がこれだった。現職大統領が『来るべきことが来た』と言えば、分かっていたということだ」



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