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【コラム】韓国人の反対語は外国人?

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
韓国で働く外国人の私の知り合いの米国人は、韓国で「外国人」と呼ばれるのが不快だという。 外国人が集まったその場の対話は自然に続いた。 「外国人」という言葉をめぐる論争は以前にも聞いたことがあり、その友人の言葉には特に驚かなかった。 しかし当時は関心がなかった。 しかし非論理的なことを賢い友人が話すので、一度反論してみた。

「でもあなたが外国人であるのは事実では」。もしかして私が知らない間に市民権を得たのかとも思ったが、すぐに返事があった。 「そうだ。 しかし外国人という言葉には軽蔑の意味が込められている」。

軽蔑(Derogatory)? 一度考えてみよう。 米国人をaとし、韓国で働きながら生活する人をbとすると、「a+b=x」という公式を解くのだ。 米国人なのに韓国で働いて生活するxは外国人か、外国人ではないのか。


私の友人の論理によると、外国人ではなく「国外居住者(expat)」と呼ぶべきだという。 では国外居住者という言葉は外国人よりもよいのか。 expatはex-patriotの省略形だ。 言葉通りに解釈すれば過去に愛国者だった人という意味になる。 この場合、国外居住者はかつて自国を愛していたが、今は新しい地に暮らしながら過去のその心を捨てた人ということだ。 それとも故国から捨てられて帰ることができないかだ。 本当に外国人よりも国外居住者と呼ばれるのがよいのか。

おそらく私の友人は「国際居住者(international resident)」を話そうとしたのだろう。 かっこいい表現だ。 子ども「ママ、あの外国人ちょっと見て!」というよりも、「ママ、あの国際居住者ちょっと見て!」というほうがかっこよく聞こえるからだ。 また国際居住者という言葉が政治的に正しい(politically correct)表現かもしれない。 しかしあまりにも長すぎて言いにくい。 また外国人同士でもお互い外国人と呼ぶのに何が問題なのか。

「もちろん私も自らを外国人というが、韓国人がそう呼ぶと気持ちはよくない」。友人のこの話を聞いてから気づいた。 外国人という韓国語は否定的な意味を含むのか。 その可能性もありそうだ。 アウトサイダー、異邦人など…。 単に他の地域から来た人という価値中立的な意味を持つかもしれない。

それで今度は韓国人の友人に尋ねた。 「外国人の反対語は何か」と。 「韓国人」だという。 韓国人でなければ外国人、二つに一つだ。 では、それはどういう意味なのか。

私は韓国生活8年目だと話すと、みんなこう言う。 「もう完全に韓国人だ(You must be Korean now)」。しかしいつか韓国国籍を取得し、毎日キムチを食べ、韓国人と結婚すれば、私は本当に韓国人と見なされるだろうか。 これは国籍の問題ではない。 はるかに奥深い領域だ。

米国で生まれた子は親が韓国人であっても属地主義に基づいて自動的に米国人になる。しかし韓国で米国人の親の間で生まれた子どもは米国人だ。 韓国人になるということはかなり無謀な考えとまで感じられる。 ある人が韓国人なら、それはもともと韓国人だったからだ。 韓国で外国人と呼ばれて友人の気分がよくないのも、もしかすると当然のことかもしれない。

私たちは韓国に住む外国人だ。 愛する故国があるが、ここで働きながら暮らしている。 私たちは韓国人になることはできないが、生活の拠点である韓国と私の間をつなぐものが必ずあると信じたい。

結局、世界はますます小さくなり、私たちはみんな同じ地球村の市民であり、地球の居住者である。

ミシェル・ファンズワース新韓銀行外国人顧客管理チーム長



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