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【コラム】再度「安全」を考える(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
国内の原発に関しても同じだ。もちろん国内原発の設計構造や地質学的状況が日本の事故原発とは違うということを知っているが、原発事故が招く惨禍を必ず防ぐためにはより一層強化された安全基準と対応施設が必要だということも明らかだ。過去に費用・効率面で想定した安全基準が完全に崩れたのが今回の日本の例だ。費用問題に過度に傾斜しなかったか、その結果「想定」の範囲をとても狭くとらえていなかったかを確認して正していくのがわれわれの、ひいては世界の原発保有国がすることだ。だが、日本から飛んできた極微量の放射性物質にもあわて驚くほど私たちは安全な国に住んでいるのだろうかという疑問は残る。

いくつか例を挙げよう。昨年の交通事故死亡者は5505人(交通安全公団)。10年前のほぼ半分水準に減ったといってもまだ自動車1万台当たり死亡者は2.6人水準だ。経済協力開発機構(OECD)平均1.3人の2倍水準、加盟29カ国で交通安全水準は27位だ。子どもの交通事故死亡者も10万人当り2.3人(2007年基準)で、OECD平均(1.6人)を大きく上回る。昨年産業災害で亡くなった労働者は1300人余り、1万人当り死亡率は0.92人水準だ。これはドイツ(0.22)、日本(0.23)の4倍、米国(0.38)の3倍近い数値だ。あきれるのは韓国の産業災害率は0.7%水準で世界最低水準というものだ。3~4%台のドイツ・米国よりはるかに低い水準だ。産業災害ははるかに少ないが死亡ははるかに多いことを学界・労働界では事業者側の隠蔽が広範囲に広がっているためとみている。以前に本紙(4月8日付「応急移送210分…イ・グクジョン教授は絶望した」)にも出てきたように韓国の応急体系はその多くの指摘にもかかわらず、常に足踏み状態だ。いわゆる予防可能事故率(死亡者のうち応急措置を正しくすれば生存できた重傷外傷患者比率)は33%水準で、米国(5%台)と比較することさえ恥ずかしい水準だ。

時々あらわれる安全に対する激しい認識と、先述の統計に接する時ごとに感じる自己恥辱感、その間隙を私は解明する能力がない。だが、われわれが願う安全な社会は遠くの問題ではなく、私たちのすぐそばで日常的に広がっていることに対する徹底した反省と対応から始まるということだけは言いたい。

【コラム】再度「安全」を考える(1)

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