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高麗(コリョ)大を卒業した後、1996年、日本の読売に契約金1億5000万円で入団した。
日本進出3年目に7勝をマークし、オールスター戦に選ばれ、可能性が認められた。 野球選手として最高の瞬間を迎えたのもつかの間。 そのオールスター戦でひじの靭帯を痛めた。
接合手術の末、15カ月ぶりにマウンドに立ったが、01年6月、ひじの遊離軟骨除去手術でまた長いリハビリに入った。 02年5月、1年9カ月ぶりに勝利投手になる感激を味わった。 しかしそこまでだった。 趙成珉はひじの痛みに耐えられず、読売を離れた。
05年に国内に復帰し、ハンファのマウンドに立って再起を誓った。 07年まで3年間、通算3勝4敗4ホールド、防御率5.09の成績を残して引退した。 その後、個人事業をしていた趙成珉は、2011年1月、斗山(ドゥサン)2軍のリハビリ担当コーチとして新たなスタートを切った。
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