それにもかかわらず原発自体を止めようという話がほとんど出てこないことを知る必要がある。この日曜日に東京都心で市民団体が原発運営中断などを求めるデモ行進があったというが、それが主流では決してない。むしろ大規模原発反対デモが起きたのはすでに2021年の原発閉鎖が決定しているドイツだった。原発事故の危険性を自ら感じながらも大規模反対デモが起きないのは一言で“現実”のためだ。気分が悪くて不安なのと、電気に支えられる生活をこれ以上できなくなるかもしれないという不便を突き詰めて考えるとどちらを選択するかの問題という話だ。二酸化炭素排出でもたらされる地球温暖化が地球的問題になる状況で化石燃料を燃やす火力発電は代案にできないという問題もある。節電がもちろん主要な代案だがどこまで耐えられるか自問してみる必要がある。話は簡単だが身についた生活の便利さを簡単に捨てることができるかという問題だ。太陽光・風力・潮力・地熱などさまざまな代替エネルギーがあるというが、それが重要エネルギー源になるには最低でも20~30年は必要だ。重要なことは原発の安全であり、原発の必要性の有無ではない。
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