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光州(クァンジュ)が生んだ2人の天才‘潜水艦’が日本で会った。格別な縁の林昌勇(イム・チャンヨン、35)と金炳賢(キム・ビョンヒョン、32)が異国の地、日本・沖縄で会い、短い対話を交わした。
24日、沖縄の浦添球場。林昌勇が実戦投球を終えた後、アイシングのために球場の外に移動していると、反対側から金炳賢が追いかけてきた。
頭を下げてあいさつをした金炳賢はしばらく林昌勇と話していたが、取材陣を見ると、慌ててその場を去った。3分間ほどの短い対面だった。先輩の林昌勇は後輩の金炳賢の成功を祈り、後輩は先輩に応援を期待したはずだ。
林昌勇と金炳賢は同じ光州出身で、林昌勇が2年先輩。林昌勇が光州真興高、金炳賢は光州一高で活躍した。金炳賢が高校卒業後すぐにメジャーに進出したため、2人は事実上、野球のユニフォームを着て日本で初めて対面することになった。韓国代表で一緒に過ごして親しくなり、オフでは私的に何度か会っている。
野球選手としても2人は多くの共通分母を持つ。高校時代、金炳賢は‘リトル林昌勇’と呼ばれた。躍動的な投球フォームの‘潜水艦’投手で、ムーブメントが激しい剛速球を投げるという点、マウンドで打者と果敢に勝負をする点が似ているからだ。金炳賢の高校時代の野球関係者らは、「金炳賢はどんな選手か」という質問に「林昌勇だと考えればよい」と答えたりした。
林昌勇は韓国野球で、金炳賢はメジャーで抑え投手として成功時代を開いた。しかし2人とも挫折と試練を経験し、成功を夢見て日本舞台に進出した。林昌勇は三星(サムスン)時代に手術を受けた後、下降線をたどって安値で日本舞台に進出した。しかし林昌勇はヤクルトの守護神に生まれ変わり、日本野球を代表するクローザーに定着した。金炳賢が進むべき道でもある。
金炳賢の立場は林昌勇が初めて日本に渡った時と大きく変わらない。金炳賢は3年のブランを経て入団テストで楽天に入団したという点で、もっと不利な出発ラインに立っている。しかし林昌勇が成功したように、金炳賢も十分に成功できる技術と資質を持つ。あとは林昌勇のように与えられたチャンスを生かすだけだ。
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