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ソウル南山国立劇場の隣に小さな一本道が一つある。その道に沿って上がれば尾根に行き着く.
この上には、知る者ぞ知る空間が隠れている。国弓場の石虎亭だ。
射亭(弓を射るあずまや)の前の石底には数字が刻まれている。弓師が弓を射る際に場所をとる「射台」だ。ぎりぎりまでこの射台に近寄ると、その端の下に大きな谷が広がっている。20m下の谷はマツやクヌギがうっそうと茂る森だ。その森の向こう側、つまり射台とは反対方向の斜面に射的がある。斜台から145m離れたところだ。ちょうどそのとき、矢が弓弦から離れた。矢が大きく弧の字を描いてを森の上を飛んだ。壮観だった。
国弓は伝統の弓術である。弓術としたいところだが、洋弓(アーチェリー)と区分するために国弓になった。わが国の音楽を国楽と呼ぶのと同じことだ。そのためか国弓という単語からは昔の香りが漂う。今も弓を射る人がいるのかと思うほどで、どこかしら洋弓に比べて弓力も劣るようだ。
しかし知ってみるとあながちそうでもない。わが国には全部で350カ所の射亭がある。昔からそうだったのではない。現在、大韓弓道協会属所の国弓場数だ。ソウル大体育教育科のナ・ヨンイル教授の資料によると、2009年現在、大韓体育会に登録される洋弓選手は1559人で、国弓選手は1万1560人だという。選手数だけ見ると、国弓はサッカーの次に人気が高いスポーツということになる。日帝が民族文化抹殺政策を展開してさえいなければ、こんにちでも全国民が弓をたしなんでいたかも知れない。理由もなく東夷民族と呼ばれていたのではないのだ。
世界を制覇した韓国の洋弓も、実は国弓から始まった。弓が上手な東側民族の神聖なDNAを云々するのではない。1959年当時、高校の体育教師だった故ソク・ボングン(1923~99)先生が南山石虎亭で若者らに洋弓を伝授したのが韓国の洋弓のはじまりだった。このため石虎亭は韓国の洋弓の誕生の地といえる。
ところがこの石虎亭が南山からなくなるという。ソウル市は「南山ルネサンス」計画によって石虎亭を恩平区(ウンピョング)に移転すると発表した。石虎亭の歴史が300年を超えるといっても射亭自体は1970年に建てられ、文化財的価値が小さいというのがソウル市の判断だという。ルネサンス精神は伝統の復元にあるのに、ソウル市のいうルネサンスは意味が違うようだ。
国弓を紹介する。ソウル市はどうか分からないが、国弓は期待以上におもしろい。あえて民族遺産だと騷がなくても、国弓は強いリピート性のあるレジャーだ。南山の気運を受けながら弦を一度引いてみることをお勧めする。残されている時間はそれほど多くない。
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