芸術的成就とずれているということが相関関係にあるという考えは古代西洋から来たものだ。プラトンの対話篇「イオン」に出てくる熱狂理論が根拠という。神がとりついたような狂気が創造行為の動力になるということだ。ルネッサンス時代にミケランジェロの彫刻に“神が作った作品”、ティツィアーノの絵に“神が乗りうつったような筆致”という賛辞がついたのはそのためだという。「狂ったように働き無為徒食することが入れ替わり繰り返されること、道徳を破ることと同じように目に触れる行動と社会的な逸脱・無節制・独身・同性愛とともに性的に目立つ行動、不安・強迫観念・沈鬱さと同じ神経症的な特徴が(芸術家と関連した)数多くのエピソードに描写されている」(ベレナ・クリーガー、「芸術家とは何か」)
貧困と孤独も芸術家を神秘的にさせる。“寒くひもじい天才”はロマン主義時代以来、芸術家をめぐる最も強力なイメージだ。韓国現代美術史でも“貧しい天才”は少なくなく、偶然にも彼らの絵の価格は非常に高い。「うどんと醤油で1日に1食食べる日と、幸運にも2食食べる日もある、そのような生活でした。火をたくことができないちいさな部屋は1人で寝る人にはさらに冷たくなるだけで、少しも暖かい夜はなかったです」(「イ・ジュンソブ1916-1956手紙と絵」)
貧困と孤独も芸術家を神秘的にさせる。“寒くひもじい天才”はロマン主義時代以来、芸術家をめぐる最も強力なイメージだ。韓国現代美術史でも“貧しい天才”は少なくなく、偶然にも彼らの絵の価格は非常に高い。「うどんと醤油で1日に1食食べる日と、幸運にも2食食べる日もある、そのような生活でした。火をたくことができないちいさな部屋は1人で寝る人にはさらに冷たくなるだけで、少しも暖かい夜はなかったです」(「イ・ジュンソブ1916-1956手紙と絵」)
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