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「三星(サムスン)電子は外から卵を破ってくれるだけでいい。 殻さえ破ってくれれば黄金の卵を産む鳥になる」。
光ピックアップモジュールを生産するオプティスのイ・ジュヒョン社長(55)は05年、納品のために会った三星電子の実務者にこう話した。
「さい啄同機」だ。 ひなが卵の殻を破ってこの世に出ようとする時、親鳥が外から同時に殻が破れるように手助けするという意味だ。 オプティスにとって親鳥は三星電子だった。
コンピューターの光学ディスクドライバー(ODD)に入る光ピックアップモジュールは、コンパクトディスク(CD)に光(レーザー)を放ち、その反射を利用して情報を読み込む部品だ。 LPレコード盤を読む蓄音機針のような役割をする。 ODDの核心部品であるだけに、どの会社の光ピックアップモジュールを使用しているかによってコンピューターメーカーを選択するほどだ。 納品するためにはデルやヒューレット・パッカード(HP)の承認も受けなければならない。
このため、三星電子の立場としても、新生の中小企業より、世界光ピックアップモジュール市場を掌握した三洋や日立、ソニーなど日本製品を使用するほうが安全だった。 しかし国内部品会社が消えれば日本に振り回されるおそれもあった。 三星電子はオプティスに手を差し出す決断をした。 同年12月に初めての納品が実現した。
オプティスの根は三星電子と三星電機の光ピックアップ事業部門だ。 三星電子がODDを製造した初期、内部に情報技術(IT)光ピックアップ事業部を設置した。 1983年に三星電子に入社したイ社長は、87年から光ピックアップODD業務を担当した。
しかし02年、三星グループ内のビッグディールでオーディオ・ビデオ(AV)光ピックアップ事業を担当してきたIT光ピックアップ事業部350人が三星電機に移った。 問題はIT光ピックアップ市場を掌握した日本企業の生産性が高まったことで発生した。 ‘規模の経済’を前面に出した日本企業が低価格攻勢をかけてきた。 三星電子が‘唯一の顧客’だった内部チームは競争にならなかった。 赤字が続いた。 結局、三星電機は04年、この事業を整理した。
その時、イ社長が執念を見せた。 三星電機から光ピックアップの開発と製造設備を買い取り、05年にオプティスを設立した。 350人の職員のうち7人がイ社長についてオプティスに移ることを決心した。
世界的な企業との勝負は厳しかった。 大手企業が生産しないニッチ市場に食い込みながら価格を下げる戦略を選択した。 過剰人材を抱えていなかったため、価格を引き下げることができた。 三星電子も驚いた。 「これほど安く作れるのか」という反応だった。 三星電子への納品をあきらめる日本企業が続出した。 日本企業では現在、三洋だけが残っている。 日本企業に押されて大企業が整理した事業だったが、価格と技術力で再武装したオプティスが日本企業を追い出したのだ。
7人の執念が日本に対抗 国産部品の自尊心を守った(2)
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