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【ハン・ミョンギが会った朝鮮の人】対馬征伐を主張した黄慎(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

忠清南道扶余郡楮石里にある黄慎を祭った滄江書院。(写真=文化財庁ホームページ)。



日本の状況は黄慎が予想した通りだった。豊臣秀吉は明皇帝の冊封を受ける儀式は挙行したが、黄慎一行には会おうともしなかった。明の使臣も黄慎が本国に報告をすることさえ許さなかった。

秀吉は「日本が明に朝貢しようとしたが、朝鮮が邪魔をしたため、自ら出兵することになった」とし、戦争発生の責任をすべて朝鮮のせいにした。また秀吉は自分の要求条件が一つも受け入れられないことに憤り、朝鮮をまた侵略すると言った。さらには大阪の周辺では「秀吉が朝鮮使節の一行を全員殺す」という噂が流れた。


黄慎をついて行った随行員はみんな死色を呈した。黄慎は随行員に一喝した。「本当に殺せば私たちには不幸だが、国には幸いだ。秀吉の無謀な行いを知らせることができる。殺さなければ私たちには幸いだが、国にとっては悩みになるだろう。意図が分からないからだ。お前たちはみんなこういうことを分からなければいけない」。使臣として来た以上、日本の再侵入計画を本国に知らせ、それに備えられるように死をも覚悟するというのが黄慎の考えだった。

通信使の一行には攻撃を加えなかったが、秀吉の部下らは黄慎に新しい提案を出した。宣祖を説得して王子を日本に送るか、定期的に使臣と記念品を送れという要求だった。黄慎は即答で拒否し、1596年9月9日に帰途に就いた。

やがて1598年、秀吉が死亡し、壬辰戦争は終わった。日本に報復できなかったことを悔いた黄慎は、対馬を征伐しようと主張した。黄慎は宣祖に「朝鮮が与えるコメと綿布で暮らしてきた対馬が恩を仇で返すように秀吉をそそのかして戦争を起こした」とし「彼らでも征伐して全滅させることでこの怨恨を晴らそう」と建議した。宣祖も「対馬は本来、朝鮮の領土だ」とし、呼応する姿を見せた。

しかし兵力の動員が問題だった。黄慎は水軍を動員するものの、明軍から7000-8000人を借りようと提案した。名軍の指揮部は強く反対した。もし日本を刺激すると、また侵略に動くかもしれないという憂慮のためだった。

日本を「永遠に一緒になれない敵」と考えて復讐しようと考えた黄慎は、その意志をたたむしかなかった。日本で侮辱を受けながら疎外された朝鮮使節の悲哀を痛感した黄慎だが、微弱な国家的な力量の前ではどうすることもできなかった。

韓日国防相会談が開かれ、両国間の軍事協力を議論したという。日本との軍事的な密着は明らかに中国を刺激するだろう。明軍を利用して日本に復讐をしようとした黄慎が生き返ったとすれば、どんな言葉を述べるかが気になる。

ハン・ミョンギ明知大教授・韓国史



【ハン・ミョンギが会った朝鮮の人】対馬征伐を主張した黄慎(1)

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