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先月23日午後2時34分。延坪島(ヨンピョンド)を狙った北朝鮮軍の砲撃が始まるやいなや、K-9自走砲部隊の最初の砲に火がついた。砲の左側4メートル地点に落ちた砲弾から出た破片を浴びながらだった。火がついた1砲は無線通信が途絶え孤立した。命令を受けられなければ攻撃も後退もできなかった。この時、砲台の中にいた通信兵が有線復旧装備を持って飛び出した。100メートル余り走って行き火がついた自走砲にケーブルを連結し、有線通信の再開により指示を受けることができた。
自走砲部隊(海兵隊延坪部隊第7砲兵中隊)中隊長のキム・ジョンス大尉が先月27日に記者との電話通話で伝えた当時の状況だ。北朝鮮の2次砲撃が始まった直後の午後3時12分、テントそばの発電機が故障した。停電で指揮所(地下バンカー)にあった装備が作動しなかったために自走砲に撃てと命令を下すのは不可能だった。
この時、兵士1人が飛び出した。北朝鮮軍の砲弾があふれる状況で彼は20メートル余り走り外部に設置された発電機を直して帰ってきた。この日K-9自走砲が北朝鮮軍の砲台に対応攻撃をしている間、砲台内部では兵士たちが4キログラム砲弾を組み立てせっせと自走砲に運んだ。K-9内部の砲弾積置台には普段○○発を置く。この○○発は北朝鮮軍がどの砲台から撃つかわからず、射程距離別に○発ずつ砲弾を置いている。したがって1次打撃点の北朝鮮軍の茂島(ムド)に撃ち続けるならだれかが砲弾に信管を結合して、装薬を入れた後に自走砲まで持って走らなければならない。
【取材日記】砲撃されたその日、自走砲海兵は勇敢だった(2)
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